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人工河川
道と路がわかる事典

わが国に自動車が登場するまでは、河川や運河が物資輸送の重要な交通路として利用されていた。今でこそ、川を行き交う船といえば、観光船か釣舟くらいのもので、物資を運搬する船を見かけることはほとんどないといっていいが、かつては全国の河川で物資輸送の船が活躍していたのである。河口には港が発達し、川沿いにも船運で栄えた港が多かった。川船が唯一の交通手段だったという山間の村もあった。
今では到底考えられないことだが、かつては大建築物を建設する際に、資材運搬のための交通路として、人工の川を掘るということがよく行われた。動力がなかった時代、人工河川を掘るのは大変な工事であったはずだが、そうまでしてでも建築資材を運ぶには、陸路より運河を使った方が効率的だったのだろう。もっとも、その運河が後世まで利用できるという計算があってのことなのだろうが。それにしても、動力がなかった時代の陸上運送がいかに大変なものであったかを思い知らされる。
京都の中心部を、鴨川と並行して流れている高瀬川は、一六〇八(慶長一三)年に造られた人工河川である。何でも、東山の方広寺大仏殿を再建するための、建築資材運搬路として掘った運河だという。川底が浅くても運航が可能な、舟底の平らな高瀬舟が使われたことからこの名がある。
名古屋の中心部を流れる堀川も、名古屋城を築城する際、その建築資材を運ぶために掘られたものだという。堀川は伊勢湾から真っ直ぐ北に伸び、名古屋城のお堀に達していることがそれを証明している。このように、物資輸送の交通路として活躍していた川の道が、全国にはたくさんあったのである。

  

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