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新渡戸稲造
雑学大全2

新渡戸稲造が五〇〇〇円札の顔に登場したとき、それが誰なのかすぐにわかった人は多くはなかっただろう。彼の業績を熟知していたのは、専門分野である農業経済学を専攻する人と、彼が初代学長を務めた東京女子大学の同窓生くらいかもしれない。しかし、出身地である盛岡の岩手公園には石碑が建てられているほど、当然地元では名士だったし、名著『武士道─日本の魂』という本を英語で著していたから、海外でも知られた存在だった。この本で新渡戸は、武士道に則った「義・勇気・礼・誠実・名誉」などが日本の伝統的精神であると説き、そこからキリスト教精神に通ずる教育の基本理念へ発展させようとした。これは、そのまま日本人と日本の文化の本質を海外に知らせ、文明開化直後の日本と西洋の架け橋ともなるものだった。幕末の南部(盛岡)藩に生まれた新渡戸は、札幌農学校を卒業した後、アメリカに留学する。アメリカでの彼は、あちこちの集会に出かけては日本についての講演をする機会を得ていたが、そんな集会の一つにキリスト教の一派であるクェーカー教徒の家庭でのパーティーがあった。一八八六年の末、新渡戸二五歳のときのことで、「日本における女子教育」について語る彼の話を熱心に聞いていた女性がいた。クェーカー教徒の名門の娘メリー・エルキントンだった。彼女はそのとき、「この人が私の一生の仕事を示唆してくれる人だ」と直観し、講演の後、いろいろな質問を投げかけたという。新渡戸のほうも、自分の話に興味を示してくれた彼女を「なんて美しい女性だろう」と心に留める。翌年、新渡戸はドイツ留学に旅立つのだが、大西洋を越えての文通が続き、やがて二人は結ばれた。出会った最初の頃、彼女は新渡戸の「アメリカ婦人について」という日本向けの原稿作成に協力するなど、メリー夫人があってこその新渡戸の女子教育第一人者の地位だったといえそうだ。

  

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