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上野公園
雑学大全2

二〇〇六(平成一八)年、上野公園の生みの親といわれる、アントニウス・ボードワン博士の胸像が上野公園から撤去された。その理由は「人違い」。幕末の動乱で荒地と化した上野の山。明治政府は当初、焼け残った樹木を建築用材として伐採しようという案や、不しの忍ばずの池いけを埋め立てて水田にしようという案、いまの東京大学の前身でもある西洋医学所を同地に移転させようという案などを検討していた。しかし、十分に自然が残されていた上野の山の景観が失われてしまうのを嘆いた在日オランダ人医師、ボードワン博士の強い進言によって公園となったのである。こうして生まれた上野公園は、一八七三(明治六)年に、はれて日本初の公園に指定されたのである。博士の胸像は一九七三(昭和四八)年、上野公園開園一〇〇年を記念して、開園に尽力したボードワン博士の功績を称える意味で同地に設置された。ところが後になって、この像のモデルが博士本人ではなく、博士の弟である駐日オランダ領事だったことが判明したのである。胸像には立派な「あごひげ」があるが、博士は「ひげ」をたくわえていなかったのである。とんだ人違いで、三〇年間にわたって公園を見守ってきた博士の弟の像は上野の地を去ることとなってしまった。現在は、ひげのない博士本人の胸像が同地に設置され、弟に代わって上野公園にたたずんでいる。ちなみに、撤去された博士の弟の胸像は補修され、オランダ大使館に寄贈されたという。

  

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