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写真花嫁
日本史の雑学事典

■13 ハワイの写真花嫁って、どんな人?…アメリカの日本人差別に耐え続けた日系移民たち
 1898年、ハワイはアメリカ合衆国に併合された。それゆえ、ハワイの日本人移民たちは「米化心得書」などをつくり、アメリカ人になろうと試みた。同書を読むと、「スープの音を立てて飲まない。下着で外出せず、ネクタイをつける。爪楊枝を人前で使用しない」といったことが記され、その涙ぐましい努力の跡がうかがえる。
 しかし結局、日本人移民にアメリカの市民権は付与されなかった。そればかりか、日本人をサトウキビ農園に縛りつけておくため、日本人のアメリカ大陸への渡航を禁じるようになった。さらに、アメリカでの日本人差別がひどくなると、1908年に日米紳士協定が結ばれ、日本人がハワイへ渡航することも原則禁止された。この事態に、日本人移民の多くがハワイへの永住を決意する。
 どうせ永住するなら、日本人の妻を娶って家庭を持ちたい。でも、日米紳士協定で日本人のハワイ来航は禁止されている。これでは、日本人女性を妻にすることができなくなってしまう。
 だが、一つだけ抜け道があった。日本人移民の親族であれば入国できるのだ。そこで日本人移民は、故郷に自分の写真を送り、お嫁さんを募集した。そして、これを了承した女性は、本人に会う前に日本で入籍し、ハワイで初めて夫に対面するのである。これを写真花嫁と呼んだ。
 現在では到底理解できないシステムだが、結婚を親が決めていた当時にあっては、特段非難を受ける方法ではなかった。だが、嫁さん欲しさに20年前の写真を送ったり、別人の写真でごまかす移民が多く、会って幻滅する花嫁も続出したという。

  

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