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紫式部
雑学大全2

紫式部の生没年は不明であるが、推測できる生年から計算すると、結婚したのは二〇代後半であったらしい。娘賢子をもうけたが、夫が病死したため、父藤原為時の元で育てた。一説では、その頃に、これまでに見聞きしたことを題材にして書いた物語が『源氏物語』だという。最初の一巻が都の貴族たちの評判になり、藤原道長の娘である一条天皇の中宮彰子の女官に取り立てられたそうだ。その後も紫式部は、続きを次々と発表し、全部で五四巻の長い物語を、一〇〇八(寛弘五)年頃までに書き上げたといわれる。光源氏が繰り広げる様々な女性との恋の遍歴を描いた『源氏物語』は、世界的に認められており、ユネスコ本部は、日本人でただ一人、紫式部を世界の偉人に選んでいる。平安中期の女流作家といえば、紫式部に並んで有名なのが、『枕草子』の作者、清少納言。同じ時代に活躍した女流作家だけに、紫式部と清少納言の間には、それなりの親交があったかのように思い勝ちだが、実は親交どころか、紫式部は清少納言が嫌いで、かなり厳しい言葉を浴びせかけていたのだ。「紫式部日記」のなかでも、「(清少納言は)得意げな顔をした人で、頭がよさそうなふりをして漢字なんか書きまくっているが、よく見るとたりないところがたくさんある」というようなことを書いているのである。こうした記述には、客観的な根拠が乏しくて、紫式部のねちねちとした執念深さや嫉妬などがフツフツと感じられる。紫式部は自分が描いた物語のなかに出てくる女性のように、気丈で涙もろく、細やかな愛情を持ち、柔和で温順でありたいと願い、事実、そのような一面もあったとされているが、同時に敵対する相手には異常なまでに罵詈雑言を浴びせるという強烈な自我の持ち主でもあったようだ。

  

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