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高田三之丞
日本史の雑学事典

■3 江戸時代にもいた、すぐキレル剣豪…師匠・柳生兵庫助も唸らせた高田三之丞
 江戸時代の剣豪・高田三之丞は、すぐに短慮を起こした。いまで言う「キレル」というヤツだ。
 もともとは、岐阜城主の織田秀信に仕えていたが、16歳のとき三浦某とケンカして、これを殺したために、岐阜を出奔し、江戸へやってきた。
 しかし、粗暴な性格は直らず、幕臣16人と大乱闘を演じ、3人殺して江戸から京都へ逃走した。ところが、またもや京でも蜂屋孫九郎ら10数人を相手に喧嘩、同じく3人を殺害し、ついに天下のお尋ね者となったのである。
 それゆえ、逃亡生活を余儀なくされたが、辻斬り犯人を生け捕りにした功で罪を赦される。
 三之丞は、これを機に改心し、剣の道に生きる決意をする。いまだかつて剣で敗れたことがなく、腕に自信があったからだ。だが、武者修行中に柳生兵庫助と遠州掛川で勝負し、惨敗を喫する。
 以来、三之丞はいままでの慢心を捨て去り、兵庫助の弟子として、一心不乱に稽古に励んだ。結果、腕試しに兵庫助の道場を訪れる剣客の相手は、すべて三之丞に一任されるほどに上達した。
 ある日、帯刀朱念と称する使い手が、兵庫助に手合わせを求めてやって来た。もちろん、相手になったのは三之丞だった。三之丞は手を縮め、袖口に引きつけるように竹刀を持つと、自分からするすると仕掛け、「おいとほしや」と言いながら、物凄い早さで朱念の眉間を打った。朱念はまったく手が出せなかった。ちなみに「おいとほしや」という掛け声は、三之丞の口癖である。これを見た柳生兵庫助は、三之丞の妙技に「一生の出来事なり」(『昔咄』)と唸ったと伝えられる。

  

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