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甲子園の土
雑学大全2

甲子園大会では、敗れた選手たちがグラウンドの土を両手で集めて故郷に持ち帰るという慣習がある。汗と涙でぐしゃぐしゃになりながらも、一生懸命に戦った思い出の球場の土をかき集めるシーンをテレビで見ていると、こちらまでジーンとして胸が熱くなってくる。「甲子園の土」を拾うことを最初にしたのは、一九四九(昭和二四)年、小倉北高校のエース、福島投手という説がある。小倉北高は、福島投手のがんばりで、夏の甲子園で二連覇、第三一回大会でも文句なしの優勝候補だった。ところが準々決勝で倉敷北高校に打たれ、延長一〇回、七対六で敗れてしまった。試合が終わり、三塁ダッグアウトから球場出口に向かうとき、福島投手はホームベースの近くまで行って、グラウンドの土を一握りズボンのポケットのなかに入れた。これが「甲子園の土」を持ち帰るはじまりになったという。しかし実際には、もう少し前の甲子園大会で、グラウンドの土を持ち帰った選手がいたという説もある。それは、終戦翌年の一九四六(昭和二一)年、第二八回夏の甲子園大会でのことである。甲子園球場は、進駐軍が使用していたため、夏の大会は兵庫県西宮市の西宮球場でおこなわれた。この大会に出場した、東京高等師範付属中学校は、準決勝で敗れてしまった。その際、セカンドを守っていた竹田内野手は、本当に悔しくて、ベンチに泣き伏していたそうだ。そのときに監督が「来年またこよう、そのときに返しに来るために、全員ポジションの土を持って帰れ。そして、来年ここに持ってこようじゃないか」といい、選手全員でグラウンドの土を持ち帰ったという。竹田内野手も二塁の土を一握り手ぬぐいに包んだそうである。ちなみに、いまでは大会に優勝したチームの選手も、大会の思い出として甲子園の土を持って帰るようだ。

  

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