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公衆トイレ
雑学大全2

一八七一(明治四)年一一月一日、横浜では街の八三カ所に合同便所が新設された。これが日本で最初に設けられた「公衆トイレ」である。「やたらとそこら辺に放尿した者は、見つけ次第銭一〇〇文の罰金に処す」という条例が出されたためだ。しかし、便所といっても四斗樽を地面に埋めて板囲いをしただけのもので、屋根をつけて雨天でも使えるようにしたものは、それからだいぶたってからできたようだ。後に整理統合によって四〇数カ所に減らし、人通りの多いところでは瓶に変え、形ばかりの屋根をつけたという。当時、この合同便所は一般的に「辻雪隠」と呼ばれていた。雪隠とは、禅寺の便所の扁額(門戸や室内に掲げる額)に由来する語といわれている。便所の位置により東司、西浄、登司(南)、雪隠(北)と呼び分けたという。昔の家屋は南に面していることが多く、便所は一般に家屋の裏、北側に設置されたことから、雪隠の語が広く普及し、いまでも残っている。ちなみに便所は御不浄の言葉が示すように、汚い場所として見られているが、赤ちゃんが生後三日目に「雪隠祭り」をしたり、便所での儀礼をおこなう地方もある。また、便所に落ちると改名する習俗や、妊婦が便所をきれいに掃除すると安産する、清らかな子どもが生まれるという俗信もある。夜に新しい履物をおろすときは便所でおろせとか、便所につばを吐くな、夜に便所に行くなら咳払してから入れなどという俗信もあり、これを犯すと目や歯にたたるといわれている。ところで、日本人と西洋便所の出会いについては、一八六二(文久二)年に幕府の遣欧使節としてヨーロッパに渡った青木梅蔵の日記に、失敗談を含めた内容のものが述べられている。また、一八六〇(万延元)年一二月、遣欧使節としてフランスに行った竹内下野守保徳らの面々が、ホテルに泊まったときの便所での珍事件が市川渡の渡欧記録に残っている。

  

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