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古代米
日本史の雑学事典

■1 昔の日本人は真っ赤なお米を食べていた…赤飯のルーツ「古代米」の気になる味は?
 千葉県長生郡長南町の『古代稲生産組合』では、数年前から古代人が食べていた米を栽培している。何と、その米の色は赤紫なのだ。稲穂も赤くなるため、実りの時期となる9月には、数百人の見物客が、古代米を栽培している『古代稲生産組合』の共同圃場に集まってくる。同所には試食コーナーも設置され、古代米のおにぎりも出してもらえるそうだ。
 赤米は、734年の古記録に登場することから、すでに奈良時代から庶民の食卓にのぼっていたと推定される。
 基本的に、赤米は庶民のお米である。どんな荒れた土地でも、それなりによく実るからだ。しかし、正直なところ、あまりおいしいとは言えない。
 この米を炊くと真っ赤なご飯になるため、赤飯の赤は、現在のアズキの赤ではなく、もともと米が持つ色彩だったという説もある。ただし、昔は米を炊かずに蒸して食べたので、この辺は現在の赤飯に共通するものがある。
 赤米は、古代だけではなく、醍醐寺に伝来する『三宝院文書』や国宝『東寺百合文書』などから、中世に入っても盛んに栽培されていたことがわかっている。ただし、古代のような短粒種ではなく、長粒種であった。大唐米と呼んでいたことから、この時期に中国大陸から入ってきたものらしい。
 その後、室町時代にも、大量の赤米が瀬戸内海沿岸の各地から兵庫へ運ばれ、都の人たちの常食となっていたという記述が古文書にある。
 しかし、江戸時代に入ると、赤米の食習慣は急速にすたれていった。

  

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