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宮本武蔵
日本史の雑学事典

■6 剣豪・宮本武蔵が二流剣士?…信憑性が乏しいのに小説のおかげで人気者に
 日本一の剣豪は誰? と聞かれたら、多くの人が宮本武蔵と即答するだろう。これは、国民的作家だった吉川英治の作品の影響である。
 これほど現代人に武蔵が好まれるのは、ストイックなまでに強さを求める真摯な姿勢に、私たちが魅了されるからではないだろうか。
 だが、私たちのイメージする武蔵像は、吉川英治の創作である。実は、武蔵に関する史料は腐るほど存在するものの、そのうち信憑性のあるものは、ほとんど残存していない。最晩年に細川家に300俵で仕官したことと、『五輪書』を執筆したことぐらいしかわかっていないのだ。
 第一、本当に強かったかどうかもわからない。『五輪書』のなかで当人は「私は子供のときから60回以上真剣勝負をして、一度も負けていない」と豪語しているが、本人の弁ゆえ、それが事実かどうか、いまとなっては確認のしようがない。
 それに武蔵は、同時代に名の知られた剣客と戦っていない。小野派一刀流を創始した小野次郎右衛門、新陰流の神谷伝心とも接触していないのだ。
 しかも、剣を交えたとされる吉岡一門との戦いも、佐々木小次郎との巌流島の決闘も、剣技によって相手を倒したというよりは心理戦、悪く言えば騙し討ちで勝ったようなもの。すなわち、武蔵が強かったというのは、かなり怪しいのではないか。
 ちなみに『五輪書』には、吉岡一門のことも、佐々木小次郎の件も、一切触れられていない。もしかすると、これらの戦いさえ、後世につけ加えられた話なのかもしれない。

  

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