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コンペイトウ
雑学大全

コンペイトウといえば、なんといってもあのイボイボが魅力。ほんのりした甘さもたまらないが、イボイボがなくて、ただの丸い粒なら、さほど人気は出なかったかもしれない。
コンペイトウが日本にやってきたのは、四〇〇年ほども前のことだ。宣教師のルイス・フロイスによってポルトガルから持ち込まれた「コンフェイトス」という名のお菓子がコンペイトウで、織田信長が感激したと言われている。
長崎から日本に入ったコンペイトウは、京都、大坂を経て江戸へと広まったのだが、当時糖類はとても高価なもので、一般の人が口にすることができない贅沢品だった。
やがて一六八四(貞享元)年頃から、長崎で国産のコンペイトウを作るようになったが、その貴重品ぶりは相変わらずで、コンペイトウは幕府に献上する大切なお菓子だった。だから、イボの数だってこだわりがあり、三六個と定められていたのだ。
この数は天地六合にかなった数理でなければならないということから決まったもので、コンペイトウ担当の役人が、幕府に献上するコンペイトウのイボを数え、それ以外は排除されていたとまで言われているし、イボが三六個以外のコンペイトウを売ってはいけないというお触れまで出たとか。
ただ、コンペイトウの数を三六個にするのはかなり困難な作業だったようだ。コンペイトウの作り方は、よく温めた鉄の鍋をゆっくり回転させ、そこにグラニュー糖の粒を大量にいれる。これがコンペイトウの核となり、その上から熱した砂糖水を少しずつ振りかけるのである。これは江戸時代から同様で、手にひしゃくを持って、砂糖水を振りかけては冷まし、また振りかけては冷ますのだ。この作業を一日九時間、二週間も続けていると、そのうちに核の周囲に少しずつイボイボができるのである。
不思議なことに機械でやろうとすると、なぜかイボイボができないというのだから、やっかいな話だ。
三六個のイボが必要だったコンペイトウ。今度食べるときは、ぜひイボの数をチェックしてみよう。

  

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