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のろま
雑学大全2

江戸時代中頃、江戸の堺町で興行していた人形浄瑠璃一座のなかに、野呂松勘兵衛という人形の使い手がいた。野呂松勘兵衛の扱う人形は、頭が平たく、色が黒かった。さらに、身なりがみすぼらしい上にとても鈍重な役である。ところが、その扱いが上手だったので、野呂松勘兵衛と人形はたちまち江戸中の評判になった。しまいには、動作が鈍重な人を「あいつは、のろまつだ」といったりする流行語まで生まれたのである。これが「のろま」の語源で、つまり、「のろま」は「のろまつ」を略した言葉なのだ。近世初頭、諸芸能の興行の間には、必ず狂言がはさまれた。それは、歌謡や軽業、からくり、少年の歌舞など多彩であった。なかでも歌舞伎の座の道化方による物まね芸が好まれた。浄瑠璃操座ざでは、それら著名道化方の顔を模した人形までつくられ、滑稽な寸劇を演じた。野呂松勘兵衛が創始した人形は、江戸で最も著名といわれているが、ほかにも、のろま治兵衛、のろま九兵衛などの遣い手もいた。上方では、そろま七郎兵衛による「そろま人形」が代表的なものとして知られている。興行にはさまれる狂言は、歌舞伎や人形浄瑠璃の脚本家、近松門左衛門の『国性爺合戦』あたりから消えていくが、現在でも古浄瑠璃系の操座では、道化人形の名残がある。なかでも、佐藤広栄座の狂言人形(一般に「のろま人形」と呼ばれる)が有名である。このほか、宮崎県の山之口町麓、鹿児島県薩摩川内市東郷町斧淵の文弥人形座においても、道化人形は上演されている。現代においても、「あいつはのろまなやつだ」とか「のろのろするな」といったりする。道化人形からその言葉がきたのは少々驚きである。確かに、動きが遅い人は操り人形のように見えなくもないが……。

  

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