高山流水
【こうざんりゅうすい】
すばらしい演奏、音楽のたとえ。また自分の作品をよく鑑賞し、本当に理解してくれる人にはなかなか巡り会えないものだという意味もある。春秋のころ、伯牙という琴の名人がいた。友人の鐘子期は鑑賞の上手であった。伯牙が琴を弾いて、高い山々のたたずまいを描写すれば、かたわらで傾聴する鐘子期は「ああ、素晴らしい。高くそびえ立つ泰山の感じだ」とほめてくれる。流れ行く水の情趣を思いながら演奏すると「うん、洋々と水の流れる情景が見えるようだ。まさに長江や黄河にいる感じ」と喜んでくれる。このように二人は、よく気の合った弾き手であり聴き手であったが、やがて鐘子期は病死した。すると伯牙は、稀代の名人上手と謳われた演奏家であったにもかかわらず、愛用の琴をうちこわし、絃をたちきって、生涯二度と琴を手にしなかった。このことから、親友の死を「琴の緒絶ゆ」という。この「伯牙絶絃」の故事は、芸術の世界ばかりでなく、真の友人知己を持ち得ることの幸福、重大さを教えてくれる。なお、知己(己を知ってくれる人)を”知音”というのは、この故事からきている。
『呂氏春秋』本味、『列子』湯問。
伯牙絶絃。知音。
| 日本実業出版社 (著:真藤 建志郎) 「四字熟語の辞典」 JLogosID : 4373373 |