大腸ガン腹腔鏡下手術
【だいちょうがんふくくうきょうかしゅじゅつ】
腹腔鏡下手術は「21世紀の治療法」ともいわれ、1990年代初頭の腹腔鏡下胆嚢(たんのう)摘出術からはじまり、大腸ガン、胃ガンへと、その適応は拡大の一途を辿っています。
腹腔鏡下手術とは、5mmから10mm径の管(ポートという)を腹壁に3カ所から4カ所留置し、この1つのポートから腹腔鏡を腹腔内に挿入し、これで腹腔内を観察しながら、他のポートより細長い手術器具を挿入し、手術操作を行う方法をいいます。腹腔鏡下手術は「お腹を開けない――開腹しない手術」との誤解が広く存在しますが、腹腔内のものを取り出すのに開腹せずに取り出すことはできません。腹腔鏡下手術を一言でいえば、手術操作を行う開腹創――アプローチ創が小さく、手術により切除すべきものを取り出す開腹創も小さくできる手術です。
大腸は右下腹部の盲腸から始まり、右側腹部背側寄りの上行結腸→上腹部の横行結腸→左側腹部背側寄りの下行結腸→左下腹部のS状(えすじょう)結腸と腹腔内の外側を時計回りに存在し、直腸から骨盤内に入り、肛門へと続く臓器です。手術により切除すべき大腸を、その周辺を含め広く剥離し、腹腔内の背側から切除のために必要な小開腹創までの大腸の授動を行うことにより、従来の開腹手術では10cmから20cm程度の開腹創が必要であったものが、腹腔鏡下手術では3cmから6cm程度で済みます。さらに、大腸ガンの場合には、所属するリンパ節の切除(廓清〈かくせい〉という)も必要であり、このリンパ節廓清術も腹腔鏡下手術操作で行えば、より開腹創縮小効果を引き出すことができます。
適応となる疾患は、最も多く行われているのが大腸ガンに対する腹腔鏡下手術です。その他には潰瘍性大腸炎、大腸憩室症、クローン病、小腸腫瘍、虫垂炎等があげられます。当初、早期ガンよりはじまった大腸ガン腹腔鏡下手術は進行ガンへと拡大し、虎の門病院では、早期ガン、進行ガンの別なく大腸ガン手術例の80%以上に腹腔鏡下手術を行っています。
腹腔鏡下手術のメリットとしては次の点があげられます。[1]近接した、鮮明な映像をモニター上で確認しながら手術を進めることができる、[2]従来の開腹術では術者しか目にすることができなかった奥深い術野も、複数の目で観察しながら手術を進めることができる、[3]鮮明な術野を観察しながらより繊細な手術を行うことができる、[4]開腹創が小さい、[5]従来の開腹術に比較して侵襲程度が少ない――「低侵襲手術」である等があります。
デメリットとしては、[1]手術操作にある程度以上の熟練を要する、[2]モニター上狭い視野の中の手術操作が思わぬ偶発症を招く可能性がある、[3]手術時間が従来の開腹手術より長くかかる、[4]ガンの手術として生存率に与える影響が一部で不安視されている等があります。
患者さんにもたらされるメリットは、お腹の傷が小さいこと――開腹創の縮小化に集約されます。お腹の傷が小さい→手術後の痛みが少ない→術後早期より動ける→排ガス、排便が早く始まる→術後の食事開始が早くできる→術後の入院期間の短縮、つまり早く社会復帰ができる、の図式です。お腹の傷が小さいことのメリットはそれだけではなく、手術後に起こり得る腸閉塞――イレウスの頻度を明らかに減少させます。開腹手術後の腸閉塞の多くの原因は「癒着」によるものです。「癒着」によって手術の傷が治るわけですから、ある面では避け難い必要悪ともいえますが、腸閉塞になれば再手術になる可能性もあり、腸閉塞の頻度が低くなることは患者にとって大きなメリットです。また、女性を中心として「見た目が良い」、つまり、「美容上のメリット」も生み出します。手術からの早期回復は、患者個人への恩恵にとどまらず、トータルとして医療費軽減に貢献する「21世紀の治療法」として今後の大いなる発展が期待されています。
患者の受け得るデメリットは、唯一「予後」の点です。短期予後では腹腔鏡下手術を受けることにより術中、術後の合併症が高まるかどうかの懸念があります。報道の通り、腹腔鏡下手術特有の合併症ももちろん存在しますが、全体としてみた場合、われわれの大腸ガン腹腔鏡下手術732例の経験からみれば、術中に腹腔鏡下手術でもたらされる偶発症は2%程度であり、そのすべてが腹腔鏡下に、あるいは、従来の開腹術に移行することにより本来のガンの手術を全うでき、重篤(じゅうとく)な結果をもたらした症例は1例たりと経験していません。術後合併症は従来の開腹術より明らかに少なく、これは「低侵襲手術」であることの1つの証左です。
長期予後では、治りうる可能性、生存期間がどう影響を受けるかが最大の課題です。純粋に科学的根拠を示すためには、無作為抽出法による腹腔鏡下手術例と従来の開腹手術例の比較検討(無作為比較試験)が必要ですが、わが国ではその結果はまだ出ていません。しかしながら、無作為比較試験ではない両者の比較試験では、少なくとも、腹腔鏡下手術例が治りうる可能性を低く、あるいは、生存期間を短縮しているという結果は出ていません。その結果は虎の門病院のみならず、多くの施設から同様の報告が出されています。
国民皆健康保険の日本においては患者側に経済的デメリットはありません。大腸ガン腹腔鏡下手術は、十分な経験の元に、慎重な手術を行えば決して「危険」な手術ではなく、患者さんにメリットをもたらせる手術です。 (澤田寿仁)
| 寺下医学事務所 (著:寺下 謙三) 「標準治療」 JLogosID : 5036584 |