スエズ運河
【すえずうんが】
【雑学大全2】 地理 > 場所
ナポレオンになるはずだった!?アジアとアフリカ大陸の境界にあるスエズ地峡を掘り、スエズ運河をつくったのは、元フランスの外交官フェルディナン・ド・レセップスである。彼は一〇年の工事期間を要して一八六九年に総延長一六二・五キロの運河を完成させた。このスエズ運河開通により、アフリカ大陸南端の喜望峰を回る航海をしなくても、地中海からエジプトを通り、紅海からインド洋に抜けられるようになった。東西貿易が活発になる要因の一つになったといってもいい画期的な出来事だった。ところで、このスエズ運河の利便性には古代人も気づいていたらしく、紀元前の古代エジプト王朝の頃や、七世紀半ばの一時期に、地中海からナイル川を通り、紅海へと続く運河が掘削されていたようだ。その後、これらの運河は廃れて、砂漠に埋もれてしまったが、この埋もれた運河跡を最初に見つけたのは、一七九八年にエジプトに遠征したナポレオンだったという。ナポレオンは、この運河の利便性に着目し、さっそく土木技師たちに調査させた。ところが、技師たちが出した結論は、地中海の水位よりも紅海の水位のほうが高いので、そこを掘れば、紅海の水が地中海に流れ込み、大惨事を引き起こすというものだった。さすがのナポレオンも、「余の辞書に不可能という文字はない」とはいかず、結局、運河建設はあきらめざるをえなかったという。ところが、実際はこの技師たちの計算は間違いで、レセップスがスエズ運河を完成させたとき、紅海の水が地中海に押し寄せることはなかった。ちなみに、スエズ運河の工事は、疫病の発生など難航を極めたようだが、土木技術上はそれほど難しい工事ではなかったという。つまり、ナポレオンの時代でも建設はできたはずなのだ。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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