2.更科
【さらしな】
【東京-五つ星の蕎麦】 蕎麦の蘊蓄 > そば屋の系譜
更科は、寛政二年(一七九〇)、信州で布を商っていた布屋太兵衛が、麻布永坂に創業。太兵衛の出身地は、保科家発祥の地ともされた、信州保科村である。彼は、当時出入りを許されていた保科家から、そば打ちの腕を認められ、そば屋への転業を勧められた。折しも江戸は、そば屋の全盛期を迎えようとしていたところである。よい時機を得たことであったろう。
看板は信州更級の更と保科家の科を併せて「信州更科蕎麦所布屋太兵衛」とした。
いま広く知られている「更科」という店名は、最初は名目だった「さらしな」が定着してしまった通称である。麻布永坂「更科」も、本来の屋号は「布屋太兵衛」であり、のちに開店する分店、支店も、屋号としては「布屋某」と名乗っている。
現在は、麻布十番の「永坂更科 布屋太兵衛」と「総本家更科堀井」をはじめ、明治二十年(一八八七)創業の「神田錦町更科」、同三十五年(一九〇二)創業の「有楽町更科」などがあり、これを継ぐのが大森の「布恒更科」である。
注)「有楽町更科」は、後継者がなく、平成六年(一九九四)に閉店した。
更科は、創業が「保科家」に関係していたからか、高級なそば屋としての名を博し、大名屋敷や有力寺院へ、また明治以後には皇族、宮家にも出入りしたという。そばの評判が高いばかりでなく、店の造作、食器、調度類等、出色だったようだ。
更科そばの大きな特徴は、真っ白に細く打たれ、艶やかで上品な風情にある。つゆは甘め、「総本家更科堀井」では客の好みを考えて、甘・辛と二通りの汁を供している。店々により、芝大門の江戸前穴子の天麩羅、布恒のかわりそば等々ある。もちろん普通のそばも出している。
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【この辞典の書籍版説明】
「東京 五つ星の蕎麦」見田盛夫/選 |
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並木藪蕎麦、巴町砂場、神田まつやなど伝統の技が味わえる名代の老舗から、進化し洗練された蕎麦でたちまち有名となった新鋭店まで、都内と近県の118の名店を料理批評家・見田盛夫が厳選。蕎麦の基礎知識や全国の名店217軒の情報も付いた、蕎麦好きのバイブル。 |
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