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日本の城
雑学大全

江戸時代、日本は一七三二(享保一七)年、一七八二(天明二)年、一八三三(天保四)年に大飢饉に見舞われた。この大飢饉で、食べるものがなくなった農民は大いに苦しんだのである。
そのとき、日本のあちこちの街道にあった松並木は、丸裸になったという。なぜか?
松といえば、美観や風致のために植えられているものというイメージが強いが、その影で、実は栄養食、非常食として利用されていたのである。
松は利用価値がとても高い。葉緑素やビタミン、ミネラルが含まれているために、食用として凶作のときに食べていたのだ。幹や枝の外側の黒い皮を削ると、その下に白い生皮が出てくる。これを剥ぎ取って、臼でついて水に浸し、密閉しておけば苦味や臭みが消え、その汁を皮でこして乾かせば粉ができる。この粉を麦や米と混ぜて餅を作って食べていたのである。これを松皮餅という。
松を食用にしていたのは日本だけでなく、中国では松の葉や実、樹脂だけを食べて仙人になったという話もあるぐらいである。
また、松脂は照明や燃料に利用されただけでなく、松脂から取れる油は止血薬としても使われた。
日本の城には必ず多くの松の木が植えられているが、その理由は、美観だけでなく、こうした松の特徴が重宝がられたからである。
いざ戦いが始まると、最も重要なのは食糧である。特に戦国時代は、大軍に城を幾日も包囲される可能性も高かった。そんなとき、敵は城内の食糧がなくなるのを待つ持久戦法に出る。いわゆる兵糧攻めだ。城に立て籠もって抗戦するために、たっぷりの食糧を用意していても、いつ食糧がなくなるかわからない。そういう場合の非常食として、城には多くの松の木が植えられていたというわけである。
城には松が良く似合い、その景観は実に美しい。でも、松は城の姿を引き立てるためにだけ植えられたものではなかったのである。

  

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