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日系人兵士
日本史の雑学事典

■14 病院から逃亡した日系人兵士の行き先は?…偏見との戦いにも勝った日系人部隊
 1941年12月8日、ハワイの軍港・真珠湾が日本軍の奇襲攻撃を受け、アメリカ海軍が大打撃を被ったことから始まった太平洋戦争中、アメリカに住む日本人移民(一世)や日系人(二世・三世)たちは、非常に苦しい立場に置かれた。アメリカ本土の日系人たちは、敵性外国人とみなされ、財産を没収、強制収容所へと送られた。
 だが、ハワイの日本人移民や日系人は、リーダー的立場の人々以外、収容されなかった。彼らはハワイの多数派ゆえ、もし全面拘束したら、ハワイ経済そのものが麻痺してしまう恐れがあったからだ。そして、こうした寛大な措置に感激したハワイの日系二世は、続々と兵士に志願した。アメリカ国民として戦おうと決意したのである。
 かくして、第442部隊や第100歩兵大隊と称する日系人部隊が誕生する。彼らは、ヨーロッパ戦線に投入され、大活躍したが、犠牲も多く、ハワイの日系人兵士だけで506名もの戦死者を出している。驚くことに、発表された負傷者の数は、兵士の総数より多い。一人で何回も傷つくからだ。しかも、負傷した日系人兵士たちは、続々と病室から抜け出した。傷ついた体で、自分から戦場に戻ったのだ。
 日系人部隊は、この戦争に参加したアメリカ軍部隊で一番多く勲章をもらった。同時に、アメリカ人の日系人に対する偏見は一掃され、その社会的地位の向上に貢献したと伝えられる。戦後、トルーマン大統領はホワイトハウスの庭で彼らと接見、「諸君は世界の自由のために戦った。また偏見に対しても勝った」と讃えた。

  

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