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鉄砲伝来
日本史の雑学事典

■8 鉄砲伝来は種子島より前?…中国から琉球経由で伝わった「石火矢」とは
 1543年、種子島に鉄砲が伝来――この話は、南浦文之の『鉄炮記』(1606年)の記事がもとになっている。
 それによれば、同年8月25日、種子島にポルトガル船が漂着し、領主の種子島時尭がポルトガル人から2丁の火縄銃を購入したのが最初だとしている。このとき時尭は、鉄砲と火薬の製造法をポルトガル人から学んだという。
 だが、ポルトガルなどヨーロッパの文献には、1542年が鉄砲伝来の年だとするものが多い。アントニオ・ペイショットが書いた『世界発見史』には、種子島に漂着した3人のポルトガル人の実名まで登場している。ただ、いまとなっては、どちらが正解かは特定できない。ところが、実は種子島の鉄砲伝来から遡ること80年前、中国から琉球王国経由で鉄砲が日本にもたらされていたとする記述が、『蔭涼軒日録』に載っている。蔭涼軒日録とは、室町時代に4代将軍・足利義持が京都・相国寺鹿苑院内に建てた蔭涼軒を管理する歴代の軒主が書いた役職日記である。これによると、来日した琉球使節は、その鉄砲を実際に試射してみせ、これを公儀に献上したとあるのだ。
 ただし、このとき伝わった鉄砲は、1543年の火縄銃形式のものではない。この鉄砲を、当時の人々は、『石火矢』と呼んだ。種子島の火縄銃と違い、銅で砲身ができていて、素焼きや石製の弾丸が飛び出す仕掛けになっている。発射されると、弾が燃えるしくみになっていたらしい。いまでも戦国時代の城郭を発掘すると、石火矢に使用された土弾や石弾が多く発見される。

  

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