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直木賞
雑学大全2

芥川賞と直木賞は、数ある文学賞のなかでも最も有名で、歴史においても双璧をなす文学賞といってよいだろう。ところで、芥川賞がかの芥川龍之介に由来していることは誰もが知っているであろうが、一方の直木賞は誰に由来するか知っているだろうか。直木賞の「直木」は、作家の直木三十五である。直木三十五は大阪生まれで、本名を植村宗一という。市岡中学を卒業し、しばらく代用教員を務めた後上京。早稲田大学英文科予科に入学するが、学費が続かず除籍。雑誌「主潮」を創刊したり、冬夏社を創設したりと精力的に活動を続けるが、どれも長続きせず、結局文筆活動に専念するようになっていった。そして直木は、三一歳のときに初めて小説を発表する。その当時のペンネームは「三十一」としていた。つまり、もともと彼は「直木三十一」という名前でスタートしたのである。それがなぜ「三十五」になったのか。実は、直木が三二歳のときは「直木三十二」といい、三三歳のときには「直木三十三」、そして三四歳になったときには「四」は縁起が悪いのでそのまま(あるいは編集者が勘違いをしてそのままにしたという説もある)、三五歳になって「直木三十五」としたのだ。つまり、ペンネームを変えていったのである。その後も年を重ねるたびに三十六、三十七と変わっていくと思いきや、なぜか三十五で止まってしまった。その理由とは、本人いわく「三十六にしたら、三十六計逃げるにしかず(逃げるべきときには策を考えるより逃げるのが得策)とまぜっ返すやつがいると思ったから」というものだった。大衆文学の先駆者であった直木三十五。時代小説や『由比根元大殺記』、大衆作家として不動の地位を固めた『南国太平記』などの作品を世に送り出したが、一九三四年、四三歳の若さで世を去る。翌年、直木の友人であり、「文藝春秋」の創刊者である菊池寛によって創設されたのが「直木賞」であった。「芥川賞」も菊池寛の創設で、ともに一九三五(昭和一〇)年のことである。ちなみに「直木賞」は新人の大衆文学作品に、「芥川賞」は新人の純文学作品に贈られる。

  

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