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滝沢馬琴
雑学大全2

滝沢馬琴(本名は瀧澤興邦)は江戸時代の末期、庶民の娯楽であった読本、黄表紙(草双紙)などの作者で、曲亭てい馬琴のほか、様々なペンネームで多くの戯作を残している。旗本用人の家の生まれだが、若くして武士の身分を捨てて戯作者修行をし、次々に作品を発表して、『椿説弓張月』で確固たる地位を築いた。そしてはじまるのが大長編『南総里見八犬伝』の執筆だった。全九八巻、一〇六冊におよぶこの読本は、南総里見家の再興に関わっていく八人の犬(剣)士を中心に展開される物語である。馬琴は、高齢による眼病に悩まされながらも完成をめざし、ついには失明しても、先立たれた長男の嫁に口述筆記を続け、二八年の歳月をかけて希有の大長編を完成させたのである。文筆を生業にする者にとっては致命的ともいえる眼病だが、失明後も、とにかく作品の完成を……とこだわり、不慣れな嫁を叱咤激励しながら口述筆記を続けさせた馬琴の厳しさは、作品完成のためばかりに発揮されたのではなかった。馬琴は私生活においても、なにごとも几帳面、完璧主義をめざし、ついには雇っていた女中の言葉遣いにまで口をはさむという徹底ぶりであった。当時の江戸で女中奉公をするのは、たいていは地方出身の少女である。そんな彼女たちをしつけようと、彼は『万葉集』まで例に引いて、正しい言葉遣いを覚えさせようとしたのである。彼には奉公人いじめというような意識はさらさらなく、こうあらねばならぬと思い込んだら、頑固で偏執狂的に徹底せずにはいられない、滝沢家の血統のなせるワザでもあったようだ。そんな主人に懲りたのかあきれたのか、滝沢家の奉公人はなかなかいつかず、たとえば一八三一(天保二)年だけでも、「まさ、たい、せき、かね、もと、まき、政」と七人もの女中が交代した記録が残っている。みな耐えられなくなって、暇をとったか、こっそり田舎に逃げ帰ったかしたものである。

  

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