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石川啄木
雑学大全2

明治時代、岩手県に生まれた石川啄木は、早くから詩作で才能を示したものの、一生貧困から抜け出せなかった。後に転じた短歌の世界での評価が死後に高まったが、「石をもて追わるるごとくふるさとを」出て行ったり、「友がみなわれよりえらく」見えたり、「泣きぬれて蟹かにとたわむ」れたりと、詠まれた歌は悲哀に満ちたものが多く、現実を変えられないことの代償行為として歌を詠んだともいわれている。『一握の砂』『悲しき玩具』の二冊の歌集で、一首三行書きという形式と日常生活から生まれる感情を素直に吐露した作風は、当時の歌壇に新風を吹き込むものと評価されるが、その矢先の死であった(享年二六歳)。貧しさを克服しようと渡った北海道でも、また純粋に文学に親しもうと上京してからも、啄木は常に借金まみれだった。確かに貧困の原因は父親の失職にあったが、啄木としては上京後、朝日新聞社に職を得て、定期収入のあった時代もある。それでもお金が足りなかったというのは、収入に合わせた生活をするという経済観念のなさであろう。あげくのはて、友人たちへの借金申し込みでは、自殺をほのめかしたり、治療代もないから座して死を待つだけだなどと泣き落としの手紙を書く。それも貧しい生活ゆえに、ゆとりを持って純粋に文学に取り組むことができないなどと言い訳をする内容だ。現実には、歌集を出版してもそれほど売れたわけでもなく、返済どころか、さらに借金を重ねていくのだが、貸した友人たちのほうも返済に期待していた節はない。もともと啄木の手紙の書き方も、借金を直接に表現するのではなく、「生活の窮状を察してほしい」というような婉曲表現に終始しているから、友人たちもカンパするような気分でお金を渡していたようだ。ただ、その借金の記録は克明に残しており、いずれ人気が出て文筆生活で一財産築けることを信じ、その日が来たら清算するつもりだったと受け取れなくもない。

  

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