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青梅街道
雑学大全

青梅街道は、東京都中心部と山梨県甲府市をつなぐ重要な街道だ。新宿から武蔵野台地を横切り、青梅を経て、大菩薩峠を越えて甲府市酒折で甲州街道と合流する。「街道」の名がつくくらいだから、さぞかし古い歴史があるのかと思えば、開かれたのは一六〇六(慶長一一)年。徳川家康が江戸に幕府を開いて三年後のことである。しかも、整備されるにいたる特別な理由があったのだ。
家康は、江戸幕府を開く前の一五九二(文禄一)年、かつてよりあった江戸城の拡張工事に着手した。その城壁に使われる石灰は、江戸郊外の多摩山地の成木から運ぶことになった。大量の石灰を運ぶためには、きちんと整備された道が必要になる。つまり、石灰を運ぶために江戸幕府が整備した道が、現在の青梅街道の前身なのだ。
青梅を通って箱根ヶ崎、小川、田無、中野から内藤新宿を経て、江戸城にいたる道は、当時は「成木街道」とも「御白土街道」とも呼ばれた。江戸時代には、青梅街道という公式名称はないとされていたが、一七七〇(元禄一三)年の小川村(現・東京都小平市)の文書には、「青梅街道」と記されていることがわかっている。
ちなみに、内藤新宿とは、江戸の北西部、武蔵国豊島郡に設置された甲州道中の宿駅。江戸周辺の品川(東海道)、千住(日光道)、板橋(中山道)とともに四宿と呼ばれた。この地は江戸へ入る北西の入口になっていたために、甲州、青梅の両道を経由して送られてくる商品が売買され、内藤新宿を中にはさんで、東の四谷から西の角筈にかけ、農村の生産物を取り扱う問屋が多く成立したとされている。
このように青梅街道は、江戸中期以降、江戸と近郊農村との野菜などの商品流通路、甲州裏街道としての性格を強め、秩父巡礼の通行路としても発展した。

  

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