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神田まつや
東京-五つ星の蕎麦

大正13年(1924)に建てられた風格ある木造2階建て。「手打そば」と書かれた提灯、「まつや」と記された釣行燈などが店頭を飾り、八間造りの照明が天井の高い店内をほのかに照らす。壁には「生蕎麦」と彫られた直径2尺9寸の木鉢やドイツ製の振り子時計などが架かり、より和風情緒を盛り上げている。

創業は明治17年(1884)。「当初は福島さんという人が二代にわたって松屋の屋号でそば屋を営んでいました。初代の名が市蔵ということから通称『松市』と呼ばれていましたが、昭和2年、事情があって閉店することになりました。その店を譲り受けたのが、酒問屋の主だった私の祖父なんです。祖父は長男の賢次郎に酒問屋、次男の作次郎に買い取ったそば屋を継がせたかったのですが、作次郎はサラリーマンになってしまいました。やがて戦時中の統制で酒問屋の営業が厳しくなり、数年後に廃業してしまったんです」と、三代目の小高登志さん。昭和24年、神田まつやは登志さんの父・賢次郎さんの手によって再開された。「父は、そば屋の経験がありませんでしたから、魚籃坂のそば屋にいた関谷作太郎さんを招いて、そば打ちを教えてもらったんです」。登志さん自身も上野の「蓮玉庵」(34頁)や「茅場町 長寿庵」(102頁)で修業を重ね、特に目と鼻の先に建つ「かんだやぶそば」(58頁)の三代目には、そば屋のイロハをじっくりと叩き込まれたという。

神田まつやは一日中、混み合っているといっても過言ではない。この店が名を馳せたのは、馴染み客でもあった池波正太郎の著書『むかしの味』や『食卓の情景』などに登場したことによる。登志さんは、今でも池波正太郎には感謝しているという。

客席からも見える店内の一角で一日にそばを打つ回数は、平日で20回前後、土曜には30回を超すというから、常に打ちたてのそばが食べられる。そば粉は北海道、茨城、長野などの風味のよいものを時期ごとに選び、卵を加えて打つ外二。予約制だが、水を使わず、卵と少量の酒だけでこねる酒もみ太打ちそばも打つ。ほかにうどんや丼物もある。

  

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