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鐘巻自斎
日本史の雑学事典

■5 伊藤一刀斎、佐々木小次郎の師匠とはどんな人?…鐘捲流・鐘捲自斎は中太刀使いの「ちょっと変人」
 剣術の流祖には、正体不明の人物が多い。剣術鐘捲流の祖・鐘捲自斎もその一人であろう。
 生国は遠江国(静岡県)秋葉だというが、いつの頃からか忽然と越前国(福井県)に姿を現した。そこで、富田勢源・富田景政の兄弟に富田流の剣法を学び、数年後には、山崎左近将監(山崎流の祖)、長谷川宗喜(心極流の祖)と並んで富田三家と謳われるほどの達人になった。
 そもそも富田流は小太刀を主体とする流派であったが、その奥義を極めた鐘捲自斎は、小太刀よりも中太刀(2尺1寸〜2尺5寸までの太刀)の利点に気づき、さまざまな工夫を加えて中太刀を用いた流派を開いた。これが鐘捲流である。別名・外他流とも言う。
 鐘捲流の秘技として、電光・明車・絶妙剣・金翅鳥王剣などが知られるが、その具体的な太刀筋については残存していない。だが、鐘捲自斎が日本の剣術史に残した功績は絶大だ。
 江戸時代、柳生新陰流と並んで剣術界を二分する勢力を有した一刀流――その流祖たる伊藤一刀斎は、鐘捲自斎の門弟なのだ。自斎と一刀斎には、次のような逸話が残る。
 まだ入門したばかりの一刀斎があるとき、「私はすでに剣の妙旨を悟りました」と師匠の鐘捲自斎に告げた。自斎は一刀斎の慢心を諫めるべく立ち合うが、逆に自分のほうが完敗してしまう。自斎は素直に脱帽し、己が持ち得る限りの秘技を一刀斎に授けたという。何とも妙な話である。
 ちなみに、かの宮本武蔵と決闘した厳流・佐々木小次郎も、鐘捲自斎の門弟と言われている。

  

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