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山内一豊
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1534年生-1605年没。2006年1月スタートのNHK大河ドラマ、『功名が辻』の主人公。浪人の身から織田信長・豊臣秀吉に仕え、掛川5万石の城主となった後、徳川家康に仕え、最終的には土佐20万石の国主にまで栄達を遂げた。

世渡り巧みに主君を乗り換え、常に"勝ち組"武将の配下で功績を上げ続けた一豊だが、その性格は温厚で礼儀正しく、戦国を生き抜く武将としては勢いに欠けるところがあったといわれている。

それを補って余りある活躍をしたのが"内助の功"で名高い妻の千代(嫁入り前の名は「まつ」)だ。事実、織田信長に目をかけられるきっかけとなった一豊の名馬も、うだつの上がらない一豊のために千代が父の遺産をはたいて作った資金で買ったものだった。また関ヶ原の戦いでも、千代は敵方西軍の情報をしたためた密書を東軍の将=徳川家康とその家臣一豊に送り届け、東軍勝利、引いては合戦後の一豊の土佐国主昇進に大きく貢献した。

こうした千代の献身に感謝してのことか、当時の武将としては珍しく、一豊は生涯側室を持たなかった。1585年に起きた長浜の大地震で娘の与祢(よね)を亡くして後、ついに一豊は子宝に恵まることはなかったが、それでも弟の子・忠義を養子として迎え入れることで土佐藩主山内家・初代としての役割を全うし、その2年後波乱に満ちた生涯を終えた。一豊没後、千代は出家して見性院と号し、1617年に一豊と同じ61歳でこの世を去るまでの間、京都で政治的手腕を発揮し山内家を支え続けたという。

※山内一豊は「やま(の)うちかずとよ」と読まれることが多いが、「やまうちかつとよ」が正しい。

  

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