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参勤交代
雑学大全2

大名が所領地である国許と江戸にある藩邸を一年交代で行き来するという参勤交代制度が設けられたのは、一六三五(寛永一二)年の武家諸法度と改定のときで、三代将軍家光の治世下のことである。これは大名諸侯の謀反を恐れた幕府が、参勤交代にかかる莫大な費用で軍備にお金をかける余裕をなくさせる目的で設けたといわれている。なにしろ、「大名行列」と呼ばれたほど数多くの藩士を従え、武具や荷物を携えての移動である。食費、宿泊費だけでも相当な額になるのは想像に難くない。ところが、参勤交代の目的は、莫大な費用を使わせることだけではなかったようである。大名行列には必ず、弓、槍、鉄砲などの隊列、騎馬隊がともない、まさに出陣の体裁を整えていた。いわば有事にはいつでも出陣できる態勢が整えられることを大名が証明するもので、一種の軍事訓練ともいえたのである。それらの隊列は、街道筋や通り抜ける宿場町、農村で暮らす人々にとっては、武士の力をあらためて見せつけられ、威圧感を感じれば身分制度を自覚せざるをえないものとなる。一揆や打ち壊しを試みる気も失せたに違いない。そもそも参勤交代制度が幕府から大名に押し付けられたものという考え方に疑問をなげかける学者もいる。豊臣秀吉の時代から、為政者に臣下の礼をとるために城下に伺候こうするという慣例があり、大名たちは挨拶という儀礼を競ってきた。その競争の激化を防ぐために、大名たちに一律に一年おきの江戸伺候を命じたと考えることもできるからだ。幕府もいちいち伺候の許可を与えるという面倒な手続きが省ける。それが参勤交代制度として合理化されたということらしい。

  

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