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交易路
道と路がわかる事典

古代のローマ道は軍事色、政治色の濃い道だったが、物資を運ぶために生まれた交易路も古代から存在していた。たとえば、北ヨーロッパで産する琥珀を、地中海沿岸まで運んだ「琥珀の道」は、紀元前一九〇〇年頃から存在したヨーロッパ最古の道だ。だが何といっても、交易路として最もよく知られているのは絹の道(シルクロード)だろう。
シルクロードは、中国と西南アジア、ヨーロッパとを結ぶ交易路で、中国の長安から中央アジアを横断し、ローマにまで通じていた。シルクロードは、古代からそう呼ばれていたわけではなく、近年になってから生まれた新しい呼称なのである。ドイツの地理学者リヒトオーフェンが、一九世紀末頃に著わした著書の中で、この交易路を「絹の道」と表現したのが始まりだという。古代の人々は絹の道をどう呼んでいたのか、興味深いテーマである。
シルクロードを通って、中国からは特産の絹が西へ運ばれ、西からは宝石や織物などが中国へ運ばれた。シルクロードは特定の一本の道を指したわけではなく、何本もの幹線道と無数の支線があり、しかも時代によって経路も変化しながら発展したのだといわれている。
一般にシルクロードというと、中国から中央アジアやメソポタミアのオアシス地帯を通り、西方と結んでいた「オアシスの道」を指すが、北方の草原地帯を通る「ステップの道」や、紅海、インド洋などの海路をとる「海の道」もシルクロードに含まれている。
シルクロードは物資の輸送路としてばかりではなく、東西文化の伝達路としても大きな役割を果たしてきた。たとえば仏教もインドからシルクロードを伝って、日本へ伝来したものだといわれている。東洋と西洋とでは人種が違うばかりではなく、気候風土から生活習慣に至るまで、すべてが異なっていたといってもよい。その東洋と西洋が互いに優れた文化を吸収しながら発展していったのであろう。
とにかく、シルクロードは、東洋と西洋のまったく異質の文化圏を初めて結んだ道としても大きな意義があったのである。

  

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