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金の鯱
雑学大全2

名古屋のシンボルでもある名古屋城の金の鯱。一対の金の鯱は、天守閣の北側にあるのがオス、南側にあるのがメスで形や大きさも少し違う。もとは名古屋城だけでなく、安土城、大坂城、江戸城にも、火災除けのお守りや、城主の威厳を示すために置かれていた。しかし、次々に破壊されたり、火災などで消失して、江戸の中期には名古屋城の金の鯱だけが残った。名古屋城の金の鯱は、はじめは一対で慶長大判一九四〇枚分、重さにして約三二〇キロもの金が使われていた。しかし、藩の財政事情の悪化により、三度も改鋳して、金の純度を下げていった。純度が下がって、光沢の鈍った金の鯱を隠すため、鳥を避けるという名目で、周囲を金網で囲うこともあった。明治に入ると、金の鯱は、国内の博覧会や一八七三(明治六)年のウィーン万国博覧会にも出品され、注目を集めた。その後、一八七九(明治一二)年に名古屋城の天守閣に戻る。こうして三〇〇年以上も天守閣を守った金の鯱だったが、第二次世界大戦中の一九四五(昭和二〇)年五月の空襲により、天守閣とともに焼失してしまう。しかし、完全には燃えてしまわず、燃えカスが残った。その燃えカスは、一度はGHQに接収されたが、大蔵省を経て一九六七(昭和四二)年にようやく名古屋市に戻ってきた。名古屋市は、残った金塊で、名古屋市旗の冠頭につける小さな金の鯱と、金の茶釜をつくった。現在、名古屋城の天守閣は、一九五九(昭和三四)年に再建され、金の鯱もそれにあわせて復元された二代目になる。なお、この二代目の金の鯱に使われた金は八八キロである。

  

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