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岩崎弥太郎
雑学大全

三菱財閥の創設者として、明治時代の経済人を代表するのが岩崎弥太郎だ。土佐の下級武士、それも浪人の子として生まれたが、若くして才能を見出され、江戸留学を許されたことが、後世の彼を作った。
坂本龍馬や長崎在住の外国人商人グラバーと交渉を持つなど、武器の調達に道を見つけ、維新前から藩の経済に深くかかわり、それがのちの三菱汽船という海運業で成功する道に導いたといえる。しかし、親交があったのは経済がらみの人物ばかりにとどまらず、大久保利通、大隈重信、松方正義ら政府要人らとも懇意にし、その助成や特権的優遇を受けることにもなったのである。
そんな岩崎が親交を結んだ一人が、のちに外務大臣も務めた井上馨。
まだ二人が若い頃、岩崎は土佐の人間ながら武器調達で長州人の井上とも知り合うことになり、幕末の志士の多くがそうだったように、芸者を宴席に呼ぶことも少なくなかった。
井上はある席で一人の芸者を見初めるのだが、彼女はすでに岩崎の愛人となっていた。ちょっかいを出された岩崎は、けっして気分はよくなかったはずだ。いつか仕返しをと思っていたのだろうが、後日、長州藩士たちの宴席に参加した岩崎は、ほかの人のいる前で、「おんしに、これをくれちゃる」と土佐弁でいったかどうか、当の芸者の背中にのし紙をつけて井上に譲ったという。
贈り物にのし紙をつけるというのは礼儀にかなう行いだが、自分の彼女を「のし紙つきで譲る」というと、ていのいい厄介払いと受け取れなくもない。惚れた女を手に入れた井上は、横恋慕を知られて同志の前で恥ずかしい思いをしたにしても損はしないが、さて自分の思いとは関係なく、ほかの男へ払い下げられた芸者の気持ちはどんなだっただろう。
それにしても、維新後は、払い下げで利権を得ていく岩崎が、払い下げたものがあったということも、話のタネにはなるエピソードである。

  

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