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街路樹
雑学大全

街路樹の歴史は古い。当時としては世界最大の都市とされた唐の長安の都に、楊柳、槐などがもちいられ、日本でも藤原京、平城京から平安京に至るまでに、街路樹として橘をはじめとして柳、桜、槐などが植えられていた。外国の例ではパリのマロニエ、ベルリンのリンデンバウムなどが有名だ。
街路樹は、都市の市街地内の道路に、都市景観をよくし、都市環境の保全・向上をはかるために植えられた樹木だ。さらに直接には、防風、防塵、防煙、防暑、防火などに役だつことを目的としている。
しかし、この街路樹は、もともとは別の目的で植えられたという。
奈良時代の七五九(天平宝字三)年、奈良東大寺の僧、普照法師の要請にもとづいて、果樹を植えるための布令が太政官符として発せられた。つまり法律が施行されたのである。指定されたのは、七道駅路(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)の路側の両側で、これが日本で最初の道路植樹の記録だとされている。
日本での街路樹政策の「教科書」というべき姿は、唐の街路樹にあった。唐の六代皇帝である玄宗の勅令によって、長安と洛陽を結ぶ道などに果樹が植えられたという。その果樹は、夏は繁った葉が人々の暑さを癒し、秋は実った果実が空腹や飢えを癒した。
実は遣唐使として唐に留学経験のある普照法師は、奈良の都にも街路樹を植えたいと考えたのだという。おそらく長安の街並を思い浮かべたのだろう。
おりしも、各地方から京へ年貢や税金を運ぶ農民が主要な道路を行き来していた。そんな人たちの苦労を少しでもやわらげたい、飢えや渇きを癒してあげたい。そんな普照法師の気持ちが、果樹の並木植樹につながったのである。

  

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