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ミスコン
雑学大全2

世界初のミス・ユニバースの結果は、一位が北アメリカのマクエライト・フレー嬢、二位がカナダのバイオレット・フッド嬢、三位がスウェーデンのゼーン・ランドストーム嬢、四位がイギリスのアイビー・リリアン・クローズ嬢、五位がスペインのセリータ・ドナ・ハース嬢、そして六位が日本の末弘ヒロ子だった(『雑学明治珍聞録』西沢爽による)。といっても当時は写真だけの審査であり、バストもヒップも関係ないといえば関係ない。ちなみに末弘ヒロ子は、全身、背面、側面、正面の写真を送っている。一応断っておくが、当時は水着ではなく堂々たる和服の盛装だったから、本当の中身の凸凹は不明である。一九〇七(明治四〇)年、アメリカのトリビューン紙が世界一美人選出のため日本代表を選んでくれと時事新報社に依頼があった。これに応じた時事新報社は美人コンクールを開催した。素人女性による美人コンテストはこれが日本初である。全国から推薦された美人写真七〇〇〇枚余から数次にわたる審査を重ねた。そして厳選の結果、小倉市長の令嬢、末弘ヒロ子が見事初代ミス日本に選ばれた。一等受賞者には、一八金ダイヤモンド指輪をはじめ当時の三〇〇〇円相当の商品が贈呈された。しかし、ここで事件が持ち上がる。彼女は華族の学校である学習院中等科の在学生だったためだ。当時、学習院の校長は有名な乃木希典大将。乃木は「良家の子女が美人コンテストに参加するとはけしからん」と激怒し、自分の容姿を誇示することは、生徒としてあるまじき行為と判断された。しかし、当の本人はコンテストに応募されていたとは知らなかったのである。コンクールには兄が内緒で応募していたのだ。それでも、彼女は退学処分を受け入れ、学習院を去ることになる。一等受賞は、ヒロ子にとってつらい出来事でもあったに違いない。

  

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