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コザ市
雑学大全

コザ市は嘉手納基地がある場所として知られたが、一九五六(昭和三一)年、コザ市が誕生したときは、全国唯一のカタカナ表記の市として話題を呼んだ。
このコザ市はもともと「胡屋」と呼ばれていた。ところが、戦後、沖縄の地図を作るにあたって米軍のミスから「コザ」になってしまった。
間違いの経緯には諸説ある。
米軍が「胡屋」を「胡差」と見誤ったという説、「Koya」を「Koza」とスペリングを間違えたとする説、美里村古謝(コジャまたはコザ)に由来するとする説などがある。
旧コザ市を含む沖縄市は一九〇八(明治四一)年に施行された「沖縄県及島嶼町村制」によると越来村と美里村に分けられていた。コザ市はこのうち越来村の一部だった。
戦後は米軍政府が収容所を拠点に地域の整備をはかり、旧越来村にコザ市の前身・古謝市(あるいは胡差市)が誕生した。
一九四八(昭和二三)年には強い台風が二度も沖縄を襲い、米軍施設のほとんどが壊滅的な打撃を受けた。そのため、膨大な予算が投入されて新しい基地建設が始まり、旧越来村には県内外から求職者が集まり、基地にそって市街地が広がっていった。
旧越来村は人口が急増し、それにともなって都市化が進行。一九五六(昭和三一)年六月一三日にコザ村と名を変え、同七月一日にコザ市となった。
コザ市が漢字ではなくカタカナ表記になったのは、国際都市らしいイメージにしたい、という住民の思いが反映されたためといわれている。
しかし、コザ市は嘉手納基地に隣接しているため、事件、事故が頻発。一九七〇(昭和四五)年一二月には米軍車両焼き討ち事件、通称「コザ騒動」が発生する。
沖縄が日本に返還された二年後の一九七四(昭和四九)年、コザ市は美里村と合併して沖縄市となってしまった。しかし今も「コザ」の名前は広く市民、県民に親しまれている。

  

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