明治改暦の裏事情
【めいじかいれきのうらじじょう】
【暦の雑学事典】 1章 暦の常識・非常識 >
◆役人の俸給を2か月分節約できた明治改暦
江戸時代以来の天保暦が使われていた明治5年11月9日(新暦換算では明治5年12月9日)、突如として改暦の詔書が下され、それと同時に太政官の布達が発表された。それは明治5年12月3日をもって明治6年1月1日と改め、以後太陽暦(グレゴリオ暦)を採用するというものであった。
この明治改暦は庶民には寝耳に水の発表であったが、政府にとっては多少の混乱は承知で断行せざるをえない事情があった。というのも太陰太陽暦である天保暦では、明治6年は6月に閏月が置かれるので13か月となる。ところが、すでに明治4年から、役人の俸給は年俸制から月給制に切りかえられていたため、明治6年の俸給の支払いは1か月分多くなってしまう。維新まもない政府の財政は困窮のきわみにあったから、1年12か月の新暦に切りかえれば、閏月の1か月分の支払いが少なくてすむことになるのである。また、天保暦の明治5年12月3日はグレゴリオ暦の1月1日にあたっていたので、新暦に切りかえれば旧暦最後の12月はたった2日だけになる。そこで、政府は12月は2日しかないことを理由に12月の月給は支払わないと役人に通達した。こうして、明治改暦によって政府は明治5年12月と翌年の閏月の2か月分の俸給支払いをまるまる浮かすことができたのである。この一石二鳥の妙案は、当時、政府で財政・外交に手腕を発揮していた大隈重信のアイデアと伝えられる。
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【この辞典の書籍版説明】
「暦の雑学事典」吉岡 安之 |
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