暦②
【こよみ】
【暦の雑学事典】 1章 暦の常識・非常識 >
◆暦という漢字の意味は?
コヨミとは日付を知るためのカレンダーだから、漢字の暦にも日の字が含まれている……というのは間違いである。これは日ではなく、「曰(いわ)く」という意味の曰(えつ)という字だそうだ。「軍門においてその功歴を旌表する(公言する)ことを暦という」のであり、「のち字を日に従うものと誤って、暦日の意に用いる」とある(白川静『字統』)。
ときどき西暦を西歴と誤記する人がいる。西洋の歴史は西暦で表わされることからの勘違いだろう。もともと暦(功歴)を数えることを歴というのだから、暦と歴を混同するのも無理はないのである。
日付のない日記がないように、史書を著すにはしっかりした暦が必要である。中国において、時の王朝によって公認された歴史書のことを正史という。司馬遷の『史記』に始まり、『漢書』『後漢書』『三国志』……『明史』までの正史を総称して「二十四史」、あるいは『新元史』を加えて「二十五史」という。中国において過去の史実を、正確な年月日とともに知ることができるのは正史があるからだ。
中国では新たに成立した新王朝が、前王朝の史料をまとめて正史とする習わしがある。だから、たとえば『隋書』が編纂されたのは、隋の次の唐の時代であり、『唐書』が編纂されたのは、唐の次の宋の時代である。ある王朝の存続中にその王朝の史書をつくると、王朝への気がねやおもねりが加わって客観的に叙述できないからだという。
◆『日本書紀』編集で必要になった公式暦
日本では奈良・平安時代に、六つの国史が編纂された。『日本書紀』『続日本紀』『日本後記』『続日本後記』『文徳実録』『三代実録』である。これを「六国史」という。
『日本書紀』は神代から持統天皇までの神話・伝説・史実を、編年体(年月順)に漢文で記述した歴史書である。天武天皇の発案によって編集が開始され、四〇年ほどの歳月を費やして養老四年(七二〇年)に完成した。有力豪族の所有していた記録や、地方の伝承などを集め、それを取捨選択かつ脚色を加えながら年代順に並べて編集したものである。しかし、朝廷の大事業であったにもかかわらず、誰が編集にあたったかははっきりしない。歴史教科書などでは舎人親王となっているが、実質的な編集責任者は藤原不比等であったともいわれる(梅原猛らの説)。
中国最初の正史『史記』を著した司馬遷は、中国の太初暦の改暦(前一〇四年)の責任者でもあった。司馬遷は太初暦の改暦の直後に、『史記』の執筆を開始している。歴史を叙述するためには、正確な暦に基づく年表が不可欠だ。『日本書紀』の編集途中の六九二年、日本初の公式暦の施行(元嘉暦・儀鳳暦の併用)があったのもこのためだろう。
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【この辞典の書籍版説明】
「暦の雑学事典」吉岡 安之 |
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