御木本幸吉
【みきもとこうきち】
【雑学大全2】 ヒトの不思議 > 人物
御木本幸吉は、それまで世界中の誰もが成功しなかった真珠の養殖技術を開発した男である。志摩のうどん屋だった彼は、地元特産の真珠を、アコヤ貝が自然に造成してくれるのをただ待つのではなく、「つくらせる」ことはできないかと発想した。そして店は妻に任せ、ひたすらアコヤ貝と取り組む日々を送る。一八九三(明治二六)年、養殖に取り組んで五年目、ようやく半円の真珠をアコヤ貝のなかに発見する。そこからさらに改良を重ねて一二年、一九〇五(明治三八)年になって、ようやく真円真珠の開発に成功したのだった。こうして誕生した「ミキモト・パール」は、いまも日本の誇りとしてその輝きを失わない。ミキモト・パールは、世界に先駆けた養殖真珠というだけでなく、その美しさにおいても戦前から世界に名を轟かせていた。それには幸吉の「パフォーマンス力」によるところも大きかったといわれる。真珠の売り込みを兼ねて渡米したとき、幸吉は発明王エジソンを訪問する。「あれこれ発明してきた自分だが、ダイヤモンドとパールだけはつくれなかった。君はえらい!」とエジソンにほめられると、幸吉は、「偉大なあなただからこそ教える」と、養殖方法を解説してみせ、エジソンを感激させている。養殖法自体は、少しでも貝の生態を知っていれば語れないこともないのだが、エジソンが動物学に疎いのを承知での発言だったらしく、マスコミに話題を提供する意図もあったようである。おかげで彼は「真珠王」の名を得た。こんな幸吉のパフォーマンス好きは晩年になっても変わらず、戦後、『宮本武蔵』を書いた吉川英治に会ったとき、「あの『お通さん』を書いた人だから、どんなにいい男かと思ったら、この程度か」と毒舌を吐いて吉川を呆れさせたという話もある。そのとき、もちろん吉川も負けじと「翁の事業的功績は大きいが、……翁自身は、いまだに帆立貝のままである」と切り返したという。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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