登山
【とざん】
【雑学大全2】 地理 > 場所
いまでは、老若男女を問わず、富士山に登る人は年間二〇万人を超えるという。しかし、江戸時代の富士山は、信仰の山として女性の入山は厳しく禁じられていた。にもかかわらず、一八三二(天保三)年、そのような掟を破って富士山に登った女性がいた。名を「高山たつ」という。このことは、山岳宗教の「富士講」を統括していた八代目の行者、小谷三志が高山たつに与えた掛け軸に明記されており、現在でも東京新宿にある高山家に大切に保存されている。彼女はこのとき二五歳。男装し、富士講者に紛れるようにして、小谷三志はじめ五人の男性とともに吉田口から登ったとされている。そして、雪と氷のなかを苦労してやっと富士山頂に立ったのだ。一八七六(明治九)年七月一六日に死去したが、尾張家の奥女中を務めた才色兼備の女性だったという。ところで、日本での登山は信仰と結びついておこなわれてきた場合が多い。代表的なのが「山伏」と呼ばれる人たちで、山岳を修練の道場として全国の高山に宗教的登山をしていた。そのためか、高山を開いた人物には、行者(修行者)や僧侶が多く名を連ねている。最も古い登山としては、天武天皇の時代(六八〇年頃)に役行者が大和の大峯山を開き、七〇一(大宝元)年に慈興上人が立山に、七一七(養老元)年に泰澄和尚が白山に、七八二(延暦元)年には勝道上人が男体山に、それぞれ登ったことが記録されているという具合である。スポーツとしての近代登山がはじまったのは明治になってからである。そして、近代登山の隆盛は、やがて海外登山へと発展する。一九二一年にアイガー東山陵初登頂に成功した槙有恒をはじめ、一九二五年、慶応隊のカナディアン・ロッキーの高峰アルバータ山登頂、一九五三年、早稲田隊のアンデスのアコンカグア初登頂など、大学山岳部を中心とした活動が目につく。こうして積み上げられた実績は、一九五三(昭和二八)?五六(昭和三一)年にかけての日本山岳会隊によるヒマラヤのマナスル登頂成功として花を開くのである。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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