伊藤博文①
【いとうひろぶみ】
【雑学大全2】 ヒトの不思議 > 人物
明治新政府の代表的な藩閥政治家の一人で、元長州藩士の伊藤博文。若き日には松下村塾(しょうかそんじゅく)で学び、幕末の志士として活躍していた。後に内閣制度が生まれたときには、初代総理大臣に就任し、大日本帝国憲法の起草にも参加したことはあまりに有名である。プロフィールを綴れば、討幕運動、新政府樹立から新体制の整備まで、あらゆる場面に関わりがあり、大活躍しているように見える。ところが、こんな伊藤の知られざる一面が、「占いを頼りに政治の決断をしていた」という面だ。伊藤が頼りにしていたとされる占いは「高島易」で、今日の高島易断のもとになっているもの。高島易の創始者は、名を高島嘉右衛門といい、天保年間に江戸の材木問屋に生まれている。易学の知識をどこで得たかは不明だが、安政の大地震を独自に予測して、材木取引で莫大な財を築いたと伝えられている。当時の横浜は開港をきっかけに発展をはじめた頃で、商売はかなりの隆盛を見た。ただ商売は順調でも、罪を犯して投獄されたり、出所後には公共事業に貢献するなど、波乱に満ちていたのが高島嘉右衛門の前半生だった。こんな高島と伊藤の出会いは、高島の事業の一つだった洋館づくりの宿を、政治家たちが好んで利用していたことからだった。伊藤もその政治家のなかにおり、高島が実業界を引退して新しい易学研究をしていることを知ると、様々な相談を持ちかけるようになった。いちばん知られているのは、日清戦争の勝利を占って開戦を進言したことだ。三国干渉も予測していて、易のおかげで伊藤は策を講じることができ、日露戦争に際しては、東郷平八郎を連合艦隊司令長官に任命することも易の結果から勧めたとしている。しかし、占いはおそらく伊藤の情報に基づいたものだから、伊藤が情報操作すれば、結果を的中させることもできる。伊藤は自分の政策の正しさの確認に占いという助けが欲しかっただけなのかもしれない。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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