伊勢神宮
【いせじんぐう】
【雑学大全2】 地理 > 場所
二〇一三(平成二五)年の式年遷宮まであと数年ということで、伊勢神宮では着々とその準備がおこなわれている最中である。遷宮とは二〇年に一度、すべての社殿を隣の敷地に新造して神座を遷すことで、伊勢神宮のほかにも出雲大社が六〇年に一度おこなっている。伊勢神宮と出雲大社は何度新造されても、創建当初と同じ様式でつくられる。伊勢神宮は切妻造の建物を拝むときに屋根が正面に見えるようにつくられる「神明造」、出雲大社は同じく切妻造の建物を拝むときに軒の端が正面から見えるように建てる「大社造」という形式である。これらは日本最古の建築様式で、その後仏教の伝来とともに寺院建築の影響を受けて建築様式は様々な特徴を持つようになり、装飾や色彩に趣向がこらされるようになっていった。伊勢神宮の一九九三(平成五)年の式年遷宮の際には、延べ一二万二〇〇〇人の宮大工をはじめ、合計二二万人の作業員が関わったといわれているが、それだけのコストをかけてまで、なぜ二〇年に一度、遷宮をするのだろうか。一つには、それくらいの期間で社殿が傷むからということもあるが、遷宮をおこなうことで新たな生命力を呼び覚まし、その繰り返しが永遠性を保つと考えられているからである。つまり人間やほかの生物などと同じく、一度滅びることによってその生命は次の代へと受け継がれ、一二〇〇年もの長い時間にわたりその姿を変えることなく脈々と続いてきたのだ。そもそも伊勢神宮は、崇神天皇の時代に、天照大神が歴代の天皇の印として授けたとされる八咫鏡と草薙剣を笠縫の邑に移して奉祀することになったのが起源である。神器はその後各地を巡幸した後、伊勢国まで来たとき「是の神風の伊勢国は常世之浪重浪帰する国なり。傍国可怜国なり。是の国に居らむと欲ふ」(伊勢の国は海山の幸に恵まれた風光明媚な国だ。ここに居たい)と天照大神からのご神託があった。そこで皇女の倭やまと姫ひめの命みことはさっそく五十鈴川の畔に磯の宮をつくって天照大神をお祀りすることにしたという。これが伊勢神宮のはじまりである。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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