牛
【牛】
【日本史の雑学事典】 第9章 食と習慣の巻 > リスト
■6 帰化人が天皇に牛乳を献上…文明開化以前の日本人は牛肉を食べたのか?
牛はすでに縄文時代、我が国に渡来していたことが判明しており、『日本書紀』にも、神武天皇が部下に牛肉を振舞ったという記録がある。だが、牛を食用にするという習慣は、仏教が伝来し、獣肉を食べるのをタブーとしたことで、ほとんど消失してしまう。
平安時代には、牛は牛車という貴族の乗り物の動力として使用され、鎌倉時代には牛耕、つまり耕作の労働力となった。室町時代に入ると、車借、いまで言うところの運送業者に利用された。大八車のようなものに荷物を積み、牛に引かせて運んだのだ。馬の背に荷物を載せて運ぶ馬借に対し、比較的重量のある材木や臼などが運べたが、平坦な道しか動けないため、使われる範囲はそう広くなかったようである。
戦国時代、ポルトガル人などが来航したため、再び牛は食用となる。豊臣秀吉なども、牛肉をよく食べたと伝えられる。
江戸時代、庶民に牛を食べる習慣はなくなったが、上流階級では密かに食されていたらしい。彦根藩が毎年、将軍家に牛肉のみそ漬けを贈呈していたという話も伝わっている。当時は、滋養強壮食としての意味合いが強かったようだ。
幕末、日本が開国すると、外国人によって、牛を食べる習慣が庶民にまで広まっていく。1862年に横浜の居酒屋「伊勢熊」の主人が女房の反対を押し切り、店を半分に仕切って牛鍋屋を開いたのを皮切りに、江戸の町で牛鍋屋のオープンが相次ぎ、明治初期の牛鍋大流行で文明開化の象徴となったのである。
もちろん牛は、その肉を食べるだけではない。乳を搾ればおいしい牛乳になる。さらに牛乳は、バターやチーズなどの乳製品の原料になる。
牛乳とか乳製品というと、明治になって日本に入ってきた食品のようなイメージがあるが、それは大間違いである。
たとえば牛乳は、7世紀半ば頃には愛飲されている。平安時代初期の諸氏の系譜をまとめた『新撰姓氏録』には、中国から渡来した善那という人物が、孝徳天皇に牛乳を献上して喜ばれたという記録がある。このときの牛乳は「蘇」と呼ばれる濃縮牛乳のようなもので、あくまで薬用として飲まれたようだ。現に善那はこのとき、「和薬使主」という姓を授けられている。
江戸時代には、8代将軍・徳川吉宗以後、歴代の将軍たちが牛乳を飲んでいたと伝えられる。
とくに吉宗は、インドから輸入した乳牛から乳を搾り、砂糖を入れ、練乳にして食べたという話も残る。余談だが、吉宗は動物にかなり強い感心があった人のようで、ラクダやサラブレッド、さらには象まで輸入している。
我が国で初めての牛乳販売店は、1863年に前田留吉が横浜に開いたものだという。最初は居留地の外国人向けに出荷されたようだ。1881年には、すでに牛乳配達というシステムが始まっていたというから、急速な普及ぶりである。
1869年、同じく横浜で元旗本の町田房造が「あいすくりん」つまりアイスクリームを初めて売り出すなど、乳製品も庶民に広まっていった。
京都に醍醐寺という有名な寺院があるが、醍醐というのは、バターを意味する言葉だそうだ(チーズという説もある)。極上を意味する「醍醐味」という言葉は、もともとはバターあるいはチーズの味を指していたわけだ。
バターは食用以外に、髪油や眼薬、膏薬としても用いられたという。だが、目に入れたらものすごく染みそうで、眼薬というのはにわかに信じがたい気がする。
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【この辞典の書籍版説明】
「日本史の雑学事典」河合敦 |
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歴史は無限の逸話の宝箱。史実の流れに紛れて見逃しそうな話の中には、オドロキのエピソードがいっぱいある。愛あり、欲あり、謎あり、恐怖あり、理由(わけ)もあり…。学校の先生では教えてくれない日本史の奥深い楽しさ、おもしろさが思う存分楽しめる本。 |
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