稲荷
【東京雑学研究会編】
【雑学大全】 社会 > 宗教
お稲荷様といえば、誰もが狐を思い浮かべるが、狐は、稲荷神そのものではなく、眷属であり、神の使いである。もっとも、自らも霊力を持っており、身近な獣という具体的な姿のためか、広く庶民に親しまれている。
全国には、およそ三万もの稲荷神社があるとされており、その総本社が京都の伏見稲荷大社である。
これを建立したのは、新羅から渡来してきた豪族、秦氏の一族の、秦伊呂具という人物だったと伝えられている。
『山城国風土記』逸文によると、七一一(和銅四)年のある日、伊呂具が餅を的にして弓矢の練習をしていたところ、矢が当たる前に餅が三つに分かれ、白鳥と化した。
その白鳥が降り立ったところが、稲荷山の峰であり、その場所に稲が生えてきた。驚いた伊呂具は、そこに社を建てて祀ることとした。
稲荷は、もともと秦氏の氏神であり、農耕神でもあった。山深い伏見に住んでいた狐は、神の使いとされた。
平安時代末期になると、荼枳尼天信仰が流行した。荼枳尼天とは、インドの民間信仰の鬼が、密教に取り入れられて仏となったものである。平清盛も、この荼枳尼天を深く信仰していた。
荼枳尼天は、もともとは狐とは何の関係もないはずであるが、日本では狐の精とされ、しばしば狐に乗った天女の姿で描かれている。また、鬼だったはずなのが、福の神として扱われるようにもなった。
伏見稲荷は、京都の東寺の鎮守でもある。東寺から真言密教の影響を受けたためか、稲荷神の使いである狐が、仏教の荼枳尼天といつしか習合し、さらに多くの人々の信仰を集めるようになった。愛知県の豊川稲荷は、荼枳尼天を祀った神社として有名である。
こうして、稲荷=荼枳尼天=狐となってしまったのである。中世に、京都の町で商業が発展すると、稲荷神社は商売繁盛の神様にもなり、その人気は現代まで続いている。
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