地下街
【ちかがい】
【道と路がわかる事典】 5章 いろいろな道 >
大都市では地上ばかりではなく、地下空間も有効に活用され、ターミナルの地下には大規模な商店街が形成されていることが多い。一般に地下街とは、道路やビルの下につくられた道と、その通路に面した店舗から成る複合的な建造物を指し、地下鉄などの駅と結びついているケースがほとんどである。
わが国で初めての地下街は、いつ、どこで誕生したものなのだろうか。歴史をひもとくと、昭和初期にはすでに地下街が存在していた。地上の道には、まだ車がほとんど走っていなかった時代である。
一九二七(昭和二)年、上野―浅草間にわが国で初めての地下鉄が走ったが、その三年後の昭和五年に、上野で地下街が誕生している。上野公園の西郷隆盛像の下の地下鉄乗車口から車坂まで、全長五〇〇mの地下道ができ、その両側に食料品店や雑貨店などが並んでいた。この地下商店街こそが、わが国で初めての地下街だったのである。戦前にできたものでは、昭和一七年に完成した旧梅田地下街(大阪市)が最も大規模であったが、それでも現在の地下街と比べると比較にならぬほど小さなものであった。
わが国で本格的に地下街が建設され始めたのは、一九六〇年代の高度成長期以降のことである。地下街はまず大都市で建設され、やがて地方の中核都市へも波及していった。実は日本は世界最大の地下街大国なのだ。これほど地下街の発達している国は、ほかにはないという。
これほど地下街が発達した背景には、まず都心の地価の高騰が挙げられる。地価の高騰により、都心の地下空間をより有効的に活用せざるをえなくなったのである。もちろんそれだけの店舗需要があったからで、公共民間が一体となって事業を推進させたことが、地下街を急速に発展させたといえる。
また、地下街はアーケード商店街のように、雨に降られても傘は不要だし、炎天下の夏など、地上に比べるとはるかに快適である。従って、多くの人に受け入れられ、利用されたことが地下街発展の大きな要因だといえる。しかし、店舗の高需要に支えられて無秩序に開発されたため、地下街はだんだん大規模化し、まるで迷路の様相を呈している。地方から買物に来た人が、地下街に迷い込み、なかなか地上へ出られなかったという話を聞いたことがある。それほど地下街は迷路化しているのである。
そのため、万が一地下で災害が発生した場合、避難が難しく、大惨事を引き起こす危険性を秘めている。それに、地下街は密室であるため空気の換気が悪く、埃や雑菌も多い。環境衛生の面でも大きな問題を抱えているのだ。従って、これからの地下街は、これらの点を充分に考慮に入れて建設されることが要求される。地下街も人の通る道、環境面はもちろんのこと、まず安全性が確保されなければならない。
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【この辞典の書籍版説明】
「道と路がわかる事典」浅井 建爾 |
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道を切り口に日本を旅する楽しみに出会う本。身の回りの生活道路の不思議から、古道の歴史、国道や高速道路、橋やトンネル、乗り物まで道と路に関する知識が満載。 |
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