交通戦争
【こうつうせんそう】
【道と路がわかる事典】 5章 いろいろな道 >
車が普及するにつれて、交通事故もウナギ上りに増加した。第二次世界大戦後の一九四六(昭和二一)年の交通事故発生件数は、全国で一万二五〇四件、死者は四四〇九人であった。それから年を追うごとに増え続け、昭和三四年には死者が一万人を突破した。この頃から「交通戦争」という用語が使われるようになった。人が車という凶器を使って人を殺すのだから、まさに戦争である。平和なはずの国のなかで、毎日戦争が繰り広げられているようなものだ。
年々増え続けた交通事故も、死者は昭和四五年の一万六七六五人をピークに減少に転じ、昭和五四年には死者八〇四八人と、ピーク時の半分にまで減少した。これは、道路整備を積極的に進めた成果の現れともいえる。特に、交通弱者である歩行者を交通事故から守るために、歩道や横断歩道橋、ガードレールなどを設置し、道路標識や信号機などの整備にも力を入れた。それと併行して、交通規則の徹底、交通違反者に対する罰則の強化、それに交通事故の悲惨さを国民に訴え、交通安全運動を推進したことも、交通事故を減らす大きな要因になったともいえる。
しかし、昭和五四年以降は再び増えはじめ、微増微減を繰り返しながら、ほぼ横這い状態で推移している。それにしても交通事故は一向に減る気配はなく、依然として多くの犠牲者を出している。そのため国の無策ぶりを批判する人も多いが、よく調べてみると、事故発生率は確実に減少しつつあり、その点は評価すべきだろう。
たとえば死亡率を例にとってみれば、道路整備の著しく遅れていた昭和二一年には、車一万台当りの交通事故死者数が二二六・一人という驚くべき数字であった。それが昭和三〇年には六九・二人と三分の一以下に激減。なおも減り続け、昭和四〇年には一七・二人、五〇年は三・八人、六〇年は二・〇人、そして平成一〇年には車一万台当り一・三人にまで減少しているのだ。
もし、昭和二一年と同じ比率で死者が出たとすると、平成一〇年の交通事故による死者は一五九・五万人という恐るべき数の犠牲者を出していたという計算になる。もしこんな状況になっていたとしたら、交通戦争どころの騒ぎではなくなっていただろう。
こうしてみると、道路の整備、交通違反取締り、交通安全運動などによる成果は確実に現れているのである。だからこれでよいというわけではない。まだ道路整備は充分とはいえないし、国民の交通安全に対する意識も高いとはいえない。交通事故は、人と車と道路の三つの要素が関わり合うことによって発生するものだから、道路の整備ばかりではなく、一人一人のモラルの向上も不可欠なのである。
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【この辞典の書籍版説明】
「道と路がわかる事典」浅井 建爾 |
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道を切り口に日本を旅する楽しみに出会う本。身の回りの生活道路の不思議から、古道の歴史、国道や高速道路、橋やトンネル、乗り物まで道と路に関する知識が満載。 |
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