幕府直轄の幹線道
【ばくふちょっかつのかんせんどう】
【道と路がわかる事典】 3章 長い永い道の歴史 >
江戸時代に、西欧諸国から多くの外国人が日本を訪れている。そして旅行記などに、日本の道路についての印象が書かれている。外国人は口を揃えて、日本の道路はすばらしかったというのである。
道幅は広く、排水のための溝もつくられている。路面は驚くほど平坦で、街道の両側に連なる松並木が日陰をつくって、旅人たちに休息の場を与えている。一里塚が旅人の旅程の目安になっている。とにかく道路の整備が実によく行き届き、ヨーロッパの道路とは格段の違いである、と日本の道路をベタ誉めしているのである。また、皆左側を規則正しく歩いているので、旅の集団と出合ってもスムーズにすれ違いができると日本人のマナーについても誉めている。確かに江戸時代の道路は手入れが行き届き、外国人が目を見張るほどであったようだ。
しかし、外国人の見た道路は主に東海道と江戸の街路だったので、これだけで日本の道路がよかったとはいい切れないだろう。だが、江戸の五街道をはじめ、幕府直轄の幹線道に限っては、手入れがよく行き届いていた。しかし、江戸時代の道路は参勤交代など、主に公用を目的に整備されたもので、決して庶民のことを考えていたわけではなかった。
また、道路状態が良好だった最も大きな理由は、当時の道路にはまだ馬車が走っていなかったからである。交通の手段はもっぱら徒歩であり、駕篭(かご)や大八車が時折行き交う程度であったというから、道路の損傷も少ない。そこがヨーロッパの道路との大きな違いであった。
明治に入り、日本にも馬車が導入されると、外国人が誉め称えた道路はたちまち悪路と化した。砂利を敷き、砂で路面を固めた程度の道路では、馬車が通れば立ち所に傷んでしまったのである。
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【この辞典の書籍版説明】
「道と路がわかる事典」浅井 建爾 |
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道を切り口に日本を旅する楽しみに出会う本。身の回りの生活道路の不思議から、古道の歴史、国道や高速道路、橋やトンネル、乗り物まで道と路に関する知識が満載。 |
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