ユリウス暦
【ゆりうすれき】
【暦の雑学事典】 3章 暦の進化史 >
◆英雄カエサルだからこそできた改暦
西暦前四九年、ユリウス・カエサルは有名な「賽は投げられた」という言葉とともに、ルビコン川を渡ってローマに進軍し、政敵ポンペイウスを駆逐してローマの実権を握った。カエサルは東方に逃げたポンペイウス軍を追撃したあとエジプトに渡り、そこでクレオパトラと運命的に結ばれることになるが、おそらくこのとき彼はエジプトで使用されていた太陽暦の合理性を痛感したに違いない。アレキサンドリアの天文学者ソシゲネスの助言を受けて、西暦前四六年、彼はそれまで誰も手をつけなかったローマ暦の改暦に踏みきった。これがユリウス暦である。
カエサルによる改暦の内容は次のようなものだった。
当時のローマ暦は立春が厳冬期にくるほど大きくずれていたため、カエサルは九〇日の閏日を挿入してこれを是正した。これによって四五五日という長い一年となったが、以後はエジプトの太陽暦を採用し、一年を三六五日四分の一と計算し、平年は三六五日、四年ごとに三六六日の閏年を設けることとした。また、これまで不明確であった年初も、ヤヌアリウスの第一日と定めた。このユリウス暦を彫った石柱は帝国全域に建てられた。そのため、以後、ヨーロッパではヤヌアリウスの第一日を年初とする習慣が徐々に広まった。
◆七月、八月に大の月(三一日)が並ぶのはなぜ?
七月のユリウス(英語のジュライ)は、カエサルの名(ユリウス)に由来する。これはローマの元老院がカエサルの功績をたたえ、ローマ暦の五月のクインチリスをユリウスに変えたからだ。
ところが、カエサル暗殺後の三〇数年間は、四年に一度置くべきはずの閏年が、誤って三年に一度置かれたため、三日のずれが生じた。このずれを修正するため、アウグストゥス(ローマ初代皇帝オクタヴィアヌスの尊号)は西暦前六年から三回閏年を省略し、西暦八年から四年に一度の閏年を置いた。したがって、事実上ユリウス暦がスタートしたのは、西暦八年ということになる。このとき、カエサルの前例にならって、セクスチリスはアウグストゥスに改名された。また、当初のユリウス暦では、フェブルアリウスは二九日だったが、アウグストゥスはこれを二八日とし、自分の名を冠した第八月を一日増やして三一日にしたといわれる(セクスチリスは三〇日だった)。七月、八月と大の月(三一日)が続くのはこのためである。
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「暦の雑学事典」吉岡 安之 |
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