バビロニア暦
【ばびろにあれき】
【暦の雑学事典】 3章 暦の進化史 >
◆四〇〇〇年前に知られていた「八年三閏法」
古代バビロニアで使われていた暦は太陰太陽暦であった。太陰太陽暦においては、月の満ち欠けの周期をいかに季節循環と調和させるかが主眼となる。いちばん簡単なのは、古代ローマの暦のように、年初だけ確定して年末をあいまいにしておく方法である。一年が何日からなるかを知る必要もないから、ある意味では便利である。しかし、これでは暦は一年かぎりのもので、過去や未来の暦との連続性がなく、日食・月食の予測もできない。
そこで、バビロニアでは西暦前二〇〇〇年頃に、「八年三閏法」という置閏法が編みだされた。これは八年で三回の閏月を挿入するというものである。つまり、「八×三六五・二四二二(一太陽年)日=二九二一・九三七六日、二九二一・九三七六日÷二九・五三〇六日(一朔望月)=九八・九四六一月」となるので、八太陽年は九九月にほぼ等しくなる。この九九月を八年に配分すると、八年のうち五年を一二か月の平年とし、三年を閏月を含む一三か月にすればよいことになる。これが八年三閏法である。
より精度の高い置閏法は、西暦前八世紀頃にメソポタミアに侵入したカルデア人によって考案された。これは一九年で七回の閏月を挿入するというもので、ギリシアではメトン法と呼ばれた置閏法である。
◆六十進法の時・分・秒はバビロニア生まれ
数値計算を得意とするカルデア人は、太陽の運行速度は季節によって遅速があることも発見していた。太陽がその直径分だけ進むのに要する時間から、太陽の運行速度を求めたようだ。これは水平線上に太陽が顔を出す瞬間から、太陽がすっかり姿を現わす瞬間までの時間として計測される。彼らはこれを水時計から滴下する水量から求めた。さらに彼らは、この量は水時計が一日(一太陽日)で滴下する量の七二〇分の一であることを知った。太陽の視直径(太陽の両端と観測点の二直線がなす角)の角度は約二分の一度だから、「三六〇度÷二分の一度=七二〇」となるのである。
ただし、約二分の一度というのは大ざっぱな値で、太陽の視直径は緯度によっても若干異なる。おそらくカルデア人は歯切れのよい七二〇という数字にこだわったのだろう。彼らは六十進法を使っていて、七二〇はちょうどその一二倍となるからだ。
こうしてカルデア人は一日の一二分の一を一時間と定めた。これは太陽が直径の六倍分だけ天空を進んだ時間となる。バビロニアの一時間は現在の二時間にあたるので、倍時間と呼ばれる。
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「暦の雑学事典」吉岡 安之 |
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