細分法
【さいぶんほう】
【暦の雑学事典】 1章 暦の常識・非常識 >
◆旬も週も一か月の細分法
一か月を上旬、中旬、下旬と三つに区切るのは、古代中国の殷の時代に始まるという。当時、一〇日ごとに吉凶が占われたからだ。週間予報ならぬ旬間予報である。一方、七日を週とする時間単位は古代オリエントが起源である。これについては、以下のような説がある。
第一は『旧約聖書』の記述に基づくとする説だ。『旧約聖書』によれば、神は天地創造に六日を費やし、最後の一日を安息日としたので、七日を一週とするようになったというのである。
第二はバビロニア起源説である。七日、一四日、二一日、二八日を休日と定めていたバビロニアの習慣が暦に導入されたという説で、これは週休制の始まりともいわれる。
だが、旬も週も一か月の細分法だから、五日でも一〇日でも一五日でもかまわなかったはずだ。実際、バビロニアでは五日単位の週もあったし、古代ローマでは一週は約八日だったという。日本でも、四日市、八日市という地名があるように、市の立つ日を区切りとしたほうが、生活上便利である。週が七日とされるのには別の理由がありそうだ。
◆新月、上弦、満月、下弦で一か月を四分
十進法になじまない七という日数が、なぜ週の単位とされたのか。まず考えられるのは、太陰暦においては、新月、上弦、満月、下弦という月の満ち欠けが、一か月を四分する目安となることだ。朔望月の周期は二九・五日なので、これを四分すれば約七日になる。天空において特異な運行をする七つの天体、つまり太陽と月と五惑星(水星・金星・火星・木星・土星)を起源とするという考え方もなりたつが、これは偶然だろう。ただ、この偶然を利用して西暦前二世紀頃のバビロニアやギリシアにおいて、週の七日が七つの天体(七曜)の名で呼ばれるようになった。
一週七日制が世界的に普及したのは、ユダヤ暦が厳格に守っていた七日単位の週をキリスト教が受けつぎ、ローマ帝国がキリスト教を公認してからは、ユリウス暦およびグレゴリオ暦にもりこまれたからである。このため、日本の暦における七曜の導入は、明治初頭のグレゴリオ暦への改暦に始まると思っている人が多い。しかし、何とグレゴリオ暦が生まれる七〇〇年前から、バビロニアやギリシアで使われていた七曜が、シルクロード経由で日本にまで伝えられていたのである(天体暦としての中国渡来の七曜暦は別のもの)。ただ、当時の七曜は占星術と密接なつながりをもち、現代でいうなら大安、仏滅といった暦注と同じような意味で利用されていた。
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