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暦③
【こよみ】

暦の雑学事典1章 暦の常識・非常識 >

本居宣長は「来経(きへ)読み」説を唱えたが……
 日本語において暦はなぜコヨミと読むのだろうか。コヨミの語源をめぐっては多くの異説があり、今もってはっきりしない。古い順から紹介すると、次のようになる。
・「甲子(きのえね)読み」説/歳月を十干十二支で表わすと、最初に甲子がくるので、キノエネフミ→コヨミとなったとする説。経尊『名語記』(一二七五年)による。
・「細(こま)読み・小(こ)読み」説/歳月日時を細かく数えることによるという説。貝原益軒『日本釈名』(一六九九年)、新井白石『東雅』(一七一七年)などにみられる
・「来経(きへ)読み」説/本居宣長は『真暦考』(一七八二年)において、年月日は「来経」る(来ては過ぎ去る)ものであり、暦によって一日一日を「来経読み」して数えることに由来すると述べている。
・「日(か)読み」説/二日、三日をふつか、みっかと読むように、古語では日のことを、カといったことによるという説。谷川士清(江戸中期の国学者)の『和訓栞』(一八三〇~六二年)には、「こよみ 暦日をいふ日読の義、二日三日とかぞへて其事を考へ見るものなれば名とせるなり」とある
◆「日読み=暦」があるなら「月(つく)読み」もあるはず
 本居宣長の「来経読み」説はよく知られているが、いささか牽強付会の感がある。文献に「来経読む」という用例はないからだ。比較的すんなり受け入れられているのは、「日読み」説である。しかし、これも暦をカヨミと呼んだ用例はなく定説とはなっていない。ただ、「日読み」と似たような言葉として、「月読み」という言葉がある。
 月読尊は、記紀神話においては、イザナギ、イザナミの子で、アマテラス、スサノオとともに世界を統治した三神に数えられる。『日本書紀』には、イザナギは月読尊に、「日に配べて天の事を知らすべし」と命じたとある。月読みとは月齢を数えるという意味である。「今宵の月は二日か三日か?」などというように、月齢を数えるには日を単位とするから、月読みは日読みでもある。
 以上の説のほかに、「九曜(くよう)見」説がある。九曜見とは吉凶・運勢を判断するインド起源の占星術だ。中国には唐の時代にインドから伝来したが、コヨミという日本語はそれ以前からあるので、この説は受け入れがたい。しかしコヨミは単に日付を知るためのものではなく、日の吉凶を占うためとみているのは正しい。易においては日の吉凶を占うために「卦(か・け)」を立てるから、コヨミ=「卦読み」説というのも成立するかもしれない。


日本実業出版社
「暦の雑学事典」
JLogosID : 14820744


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【この辞典の書籍版説明】

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出版社: 暦の雑学事典[link]
編集: 吉岡 安之
価格:1404
収録数: 198221
サイズ: 18x13x1.8cm
発売日: 1999年12月
ISBN: 978-4534030214