レーニン
【れーにん】
【雑学大全2】 ヒトの不思議 > 人物
ウラジミール・レーニンは、社会主義革命(ロシア革命)を最初に成功させたロシアの政治家だ。本名は、ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフという。「レーニン」は「レナ川の人」を意味するペンネーム(偽名)で、著作や論文にはニコライ・レーニンの名で署名していた。「レーニン」の名前を用いるまでは約一五〇もの偽名を使用していたといわれる。学生時代から革命活動に参加し、流刑や亡命生活を送るが、一九一七年、二月革命が勃発し臨時政府が成立すると、ドイツ政府協定により帰国する。イスクラ派のボリシェヴィキ(多数派)を率いて、十月革命を成功させ、史上初の社会主義政権を樹立。人民委員会議長として、ソビエト連邦の建設を指導した。また、マルクス主義を理論的に発展させ、その後の国際的革命活動に大きな影響を与えた。一方、日本との関係は、日露戦争勝利のための工作として明石元二郎がロシア革命を支援し、レーニンを後押しした話が有名である。当時はさほど有名ではなかった彼には、「礼仁」の字が当てられたことがたびたびあった。しかしながら、当時の日本では生産と配分の手段、方法を社会全体で共有することによって階級的不平等の克服を目的とした社会主義を嫌っていたため、政府はレーニンの名に「冷人」という字を当てて宣伝し、社会主義思想の浸透を弾圧したのである。それでもレーニンは、明治維新以来の日本の歩みに強い関心を見せていた。『帝国主義論ノート』では、一〇回も日本に言及したと伝えられている。二〇世紀初頭において日本を「文化的で自由な国」、「進歩的で先進的なアジアの国」と評価した。さらに革命のさなかにおこなわれた、毎日新聞と朝日新聞の二人の日本人記者によるインタビューでは、日本の家庭教育について感激していたという逸話もある。一九二四年、一月二一日に死去したレーニンの遺体は、ほどなく保存処理され現在も永久展示されている。なお政府は故エリツィン大統領の頃より、遺体を埋葬しようと何度も計画しているが、そのつど国内の猛反対にあい、撤回されている。
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【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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