マネ
【まね】
【雑学大全2】 趣味 > 芸術
フランスの画家で、写実主義から印象主義への橋渡しをした、エドゥアール・マネ。一八六三年、サロン(官展)に落選した大作『草上の昼食』を、ナポレオン三世主催の落選展に出品。ジョルジョーネの『田園の合奏』に見られる着衣の男と裸婦の組み合わせを、同時代の風俗として描き、多くの人々の反感を買って酷評された。二年後の『オランピア』は、ルネッサンス期のティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』を参考にしたものだが、ヴィーナスではなくて娼婦(オランピア)だとはっきりわかる裸婦を描き、彼の悪評はさらに広まった。斬新すぎて不評だったマネの作品だが、その革新性を慕った多くの若い画家が周囲に集まり、後の印象派形成につながっていく。マネの数々の作品は、実は左足の痛みと闘いながら描かれた。マネはリウマチ患者の多い家系の生まれで、しかも主治医がリウマチと診断したので、この痛みをリウマチだと思いこんでいた。一八六〇年頃には、あまりの痛さに自殺を考えるほどの激痛に見舞われたが、主治医の診断は同じだった。その後も痛みは次第に増していった。名作『草上の昼食』と『オランピア』は、そんな状態で描かれたのだ。リウマチと信じて放置している間に病気は進行し、一八七八年、彼は街中で背中の激痛に襲われて気絶し、病院に運ばれた。そこで彼は初めて自分の本当の病名を知らされて驚いた。リウマチではなく、梅毒だったのである。マネは女性関係が派手だったので、どこで感染したのかわからないが、それほど無秩序に女性と関係しながら、梅毒という可能性は思いつかなかったのだ。一八八三年三月、左足の痛みはますますひどくなり、皮膚も黒く変色して、医者は壊疽と診断した。その最中、マネは痛みに屈せず、二週間後に開幕となるサロンのことを気にしていた。しかしついに左足を切断。その後回復せずに、この世を去った。
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「雑学大全2」東京雑学研究会 |
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浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
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